騒動から時間が経ってしまいましたが、今回はコレについて考えてみました。
何個もリンクを貼るのは、消えちゃう場合があるからです。
どれも大体同じ反応ですので、ひとつみれば充分かと思います。
■ 主な反応は親への非難
この写真に対する、SNS上のシェアに載せられている意見は、次のようなものです。
「最近の親は子どもが悪いことをしても放置しがち」
「注意しても「チッ」と舌打ちをされて受け入れられない」
「親は子どもに全責任を負うべき」
などの、親へ厳しい視線を向ける意見がほとんどを占めています。
■ 改めて、貼り紙の全文を検証してみる
この張り紙の反響の元には、「親が非常識すぎる」という大前提があります。が、この大前提に疑問を感じるのは筆者だけでしょうか?
ではでは具体的に検証したいと思います☆
★メインエピソードの信憑性が低い
この貼り紙は店主によるものですが、書いてあるエピソードは店主が実際に目撃したことではなく、伝聞によるものです。
したがって、
“子どもが商品を勝手に開けて触っていた。それを親はまじまじと見ていたにも関わらず放置し、なおかつその商品を買い取らなかった”
という、インターネット上に増殖している解釈、つまり“非常識な親子”が本当に実在したかどうかは、誰にも分かりません。
親は子どもの間違った行為を、単純に気付いていなかったかもしれないのです。「それが間違いだ」と言う人もいるでしょう。
でも、間違いの無い完璧な人なんて存在するのでしょうか?そしてそう言うあなたは、全く間違えることの無い、完璧な人なのでしょうか?
本当にそんな強い語気で人を非難出来るのかどうか、ご自身を振り返ってみることをオススメしたいです。
★ “告げ口”は大人の行為として適切かどうか
貼り紙によると目撃者は“ふたを開けて三色だんごを触る”という、社会的に適切でない行為を見たらしい。
そして、直接その場で子どもか、もしくは親、もしくは店員・店主に指摘することをせず、あえて後から店主に伝えることを選択しました。
果たしてその行為自体が適切だったのでしょうか?
もしその子どものため、親のため、店のためを考えるなら、迷わずその場でその時に、「それは商品だから開けてはいけないし、お金を払っていないから触ってはいけない」と、誰かに伝えることが一番よかったはずです。
後から告げ口することで得るものは、ハッキリ言ってただひとつ、店主の怒りのみです。
★ “告げ口”を鵜呑みにした店主の物言いに、無礼は無かったかどうか
また、店主はその告げ口をうのみにしました。
当事者に伝えることが出来ずに貼り紙を作ったくらいですから、本人には確かめていないということでしょう。
“告げ口を信じる”という、熟考したとは思えない行為はさることながら、その物言いについてはどうでしょうか。
「将来が心配です」というのは店主の主観であり、全く余計で、かつ失礼な一文だと筆者は思います。
店主として、「お団子を開封して触らないで欲しい、子連れの方は気をつけて欲しい」という、事実に即したお願いを言うに留めれば、多くの親が素直に受け入れたことでしょう。
が、この一文には、店主の怒りが込められています。うのみにして、状況を知らないのにも関わらず、怒ってしまったという軽卒さを露呈しています。
例えば温泉で刺青をしている客に「刺青をしている方はご利用をご遠慮下さい」とは書いても、「刺青を入れる方の将来が心配です。」とは、まず書くことはありません。
誰も刺青をしている人を怒らせたくはないでしょうからね。
ですから「将来が心配」という一文は、“正しければ何を言ってもいいわけでは無いですよね”という、大人として当然持つべき礼儀を欠いた文言です。
単に誰かを怒らせることを目的としています。
実際インターネット上では、幻の非常識な親子を吊るし上げ、大盛り上がりに盛り上がりました。
■ 記事の意図と、社会へ与える悪影響について
以上のことを踏まえると、この記事は社会に対して悪影響しか与えないことが分かります。次に、いくつかの立場における悪影響を見てみます。
1 店主
店主はこのような短気を起こして貼り紙をすることで、“子どもがカンタンに商品を触れるようなつくりの店”という印象を新規の客に与えてしまいます。子どもの将来よりも、このお店のこれからの経営が心配です。早く取り下げた方が得策と思います。
2 子どもを持つ親
無責任な外野は、不特定多数の“非常識な親子”をやいのやいのと非難していますが、この効果は絶大です。
この、インターネット上のつるし上げを見た親は、「ああはなるまい」「後ろ指を指されないようにしないと」というストレスを、無意識下で受けています。
ただでさえストレスフルな育児環境にある親たちを、窮地へ追い込むような効果です。
ストレスを感じる親たちは、失敗する親に対して、無意識に冷たい視線を注いでいます。実際この騒動に対する親の反応は、「自分だったらこうする」「同じ親として恥ずかしい」といったものが主でした。
3 子どもの育ち、ひいては日本社会そのもの
失敗を恐れる親は、子どもの失敗に先立ち、いわゆる“転ばぬ先の杖”を用意することに余念がなくなります。
失敗を防ぐということは、経験を奪うことと同義です。
経験を奪われることによって失われる子どもの育ちには、誰も責任を取りません。
実際に今の日本は、親を含め、社会全体が、責任回避に余念がありませんよね。
■次世代のためにシェアしないススメと、もしかしたらの未来。
以上のことから、このような“非常識な馬鹿親を叩きたい”という意図を持つシェアは、拡散しないことを強くオススメします。
自分達、ひいては次世代の育児環境を苦しくする、言ってみれば自分達の首をしめるような行為です。
子どもという未熟な存在に対して、社会は寛容であるべきです。間違うことは大人以上にある。それは健全で真っ当で、本来は大人が守るべきことです。
と同時に親も、素直に他者からの意見を聞く必要があります。もし間違ってしまったら、素直に認めることも大切です。
その際、何かお互いに物申したいことがあれば、客観的事実に即したことを伝え、感情的主観を挟まないのがトラブルを避けるコツでしょう。
それは対親子のみならず、人と人としてのマナーではないでしょうか。
■ 唯一トクをした存在?
さて、最後に”実はこの騒動で唯一“トク”をした存在がある”という仮定をしてみます。それはだんごを触った子どもです。この子どもの当時の状況を想像してみました!
・・・彼(もしくは彼女)は、その美しいお団子のビジュアルに、どうにもこうにも触りたくてしょうがなくなってしまった。
つばが口の中にこんこんと湧き、胸は早鐘のように打ち続けた。
「触りたい」彼の頭にはその言葉が大きなスペースを占め、その目的のために残りわずかな思考を巡らせ続けた。
ちらりと横目で見上げると、母親は親戚宅へのお持たせを熱心に選んでいる。こちらには何も気を留めていない。
母親の目を盗み、彼はだんごのパッケージをそっとこじ開け、そのつるりとした表面に、そっと指で触れてみた。
なんと甘美な感触。弾力。艶。湿り気。そして美しい色。彼の心はだんごに夢中になった。
家に帰って、何度もあのだんごを再現すべく、米粉を練り続ける日々が続いた。母親に何度も米粉をねだった。時には誕生日プレゼントに米粉10袋を買ってもらったこともあった。
後世、日本を代表する団子屋を創業することになる、N氏の思い出話である。
・・・
なんてね★
どんな経験も失敗ではない、間違いではない
というもっともらしい文言を、そこらじゅうで見聞きします。が、それは本当に心の底から発しているものなのでしょうか。
このような騒動がインターネット上で巻き起こる社会を作った一員として、私たちは自身を今一度振り返る必要があるのかもしれません。
これを読んだ方が、馬鹿親シェアが次に出回ったとき、シェアを思い留まるきっかけになれば幸いです★
夫婦間心理、すれ違いの原因が分かる☆メルマガ登録はこちらです。