シンガポールでフリーライター業と子育てしながら考えたこと

宮うち みかです。フルタイム業、フリーライター業、家族の愛情補充に奔走する日々。「人生最高潮に忙しい時だ、これ・・・」と、ずっと思い続けています。忙し度更新が止まりません。

授乳母とミニスカートを見るエロい目を擁護する国★日本

■公共の場での授乳の是非について、どう考える?

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出典:www.facebook.com

 

大変ご無沙汰しておりましたが、

今回はこのニュースについて考えてみます。

headlines.yahoo.co.jp

 

■ 双方の言い分。

ここには、2つの異なる立場がありますネ。それは

 

1.公共の場で、赤ん坊に授乳する母親

2.それを見て何らかの感情が湧き起こり、やめて欲しいと思う人々


の、2者です。まずは双方の言い分を見ていきましょう。

1.公共の場で授乳する母親の言い分


赤ちゃんが 空腹な時が、授乳どき。
(俳句風)

母親のしたい事はコレだけです。

 

空腹を訴え取り乱す我が子を、すぐにでも安心と平穏で出来た世界に導いてあげたい。
ソレ以外に他意はありません。

ちなみに赤ちゃんを育てた方ならお分かりになるかと思いますが、空腹になった赤ちゃんというのは、個人差はあれど、大騒ぎするのですよ。「大変・・・あたい、死んじゃうわ!!」と言わんばかりの、上へ下への大騒ぎです。私は赤ん坊のそんな様子を見る度に、「これが生きる力だよな」と関心していたものです。

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次女、産まれたばかり。

対して、お腹が満たされた赤ちゃんと言うのは、平和を体現しているような、こちらの心が穏やかになってしまうほどの安らかな表情をみせてくれます。

赤ん坊を持った親は、そんな繰り返しを経験する事で、一刻も早く我が子を満たしてあげたいという思いを、産まれた直後から自然発生的に持つようになります。

そしてそんな母親は、決して周囲に見せつけるために授乳しているわけではありません。それは徹頭徹尾、100%、混じり気無く、赤ん坊の命を育むための、"利他的な行為"です。

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2.公共の場での授乳をやめて欲しいと思う人々、の言い分


ネット上を徘徊して調べてみたところ、色々な意見を見かけました。

中でも一番まとまっているなと思ったのはこの意見です。

「母親であるとか、女を捨ててるとかそういう議論をしている場合ではなくて、私たちは皆が良識的な人間であるべき。

確かにお腹を空かせて泣いている赤ちゃんに困ってその場で洋服ベロンなりケープなりで授乳することは仕方のないこと。けれどそれが公共の場で授乳しても良い!という堂々とした理由にはならないような・・・。

それよりも前もって人目のないところで授乳しておく、授乳室をみかけたらその都度こまめに授乳しておくなど心掛けていればそこまで困ることもないはず。ケープさえつければどこでもいいというのは周囲に配慮がない」

出典サイト:

josei-bigaku.jp



「授乳は自分の前でして欲しくないわぁ」どころか、洋服べろんでも、ケープを使ってでも、いずれにしろ人前での授乳を「すべきでない」という人も現実にいるということです。それは何故かと言うと


自分たちの目のやり場に困る



かららしい。公俗良序違反だとでも言っているようです・・・っていうか、そうですよね?だからなんだかモゴモゴと濁らせていますが、彼らにとってはハッキリ言うと


授乳=わいせつな行為



ということになります。

わいせつ いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの(判例)大谷510

参照:定義集 刑法4

 


どんなに良識だとか、配慮だとか、いい人そうな顔でもっともらしく言ったところで、要はこういうことを言っているのです。さらにもうちょっと詳しく言うと

 

空腹の赤ん坊に公共の場で授乳する行為は、
露出狂や、チカンと同じ。


と言っている、ということになります。

 



「それ、気分悪くなるし、見たくないから、引っ込んでやって」

 

と言っている。しかもこれがまた卑怯だなーと思うのですけども、

「見たくない人がいるのだから、引っ込んでやるべきでしょ?」

と、他人主体な言い方をするのが常です。そう言う事言う人は、大体「自分はイヤだ」という主体的な言い方をしません。何故かはもうお分かりになるかと思います。


はて、コレはなんだかどこかで聞いた事がある論理だな?と思い、考えを巡らせてみました。

そうです。これは 

 

■ チカンされた女子に「そんな格好してるから」と責める言い分にそっくり。

なのですね。

誰がどう考えても、公共の場でチカン行為をする側の方に問題があり、そちらの良識を先に疑うべきだろう


と常識的な大人は考えて欲しいものです。だってチカンは犯罪なのですからね。「そんな格好をする方が(略)」という言い方をする人は、「チカンする権利を擁護している」、そして「チカンに加担している」ということに気付いてくださいネ。

 
チカンから授乳の問題にハナシを戻す前に、一つ、ここでチカンと授乳問題の共通点を挙げておきます。そこにあるのは、



良識とか常識とかを振りかざして、
黙らそうという空気



です。

■ どっちが引っ込むべきかは、火を見るより明らかでは。

 

授乳の話に戻しまして・・・


ここでハッキリと私の主観を主張しますが、

これって、どっちかというと


赤ん坊への授乳をわいせつって思う人の方が、

黙ったら?って思いません???

 

見たくなかったら、目をそらしてそそくさと通り過ぎたら?って。


オマエは一体どうやって大きくなったと思っているのだ。

全く持ってけしからん。そっちが引っ込めば?というハナシですよ。

 

とってもシンプルです。


そう言う方々はね、潔く

「オレ、大きな声では言えないけど、授乳している女に興奮するんだよ」

て、小声でこそこそと言っててくださいよ。小声で言う分には、個人の自由ですから。日陰の中で、小声で言って然るべき、恥ずかしい感覚だしね、それ。

 


でも赤ん坊の大らかな食欲に母親が応える権利は、ひっそりと引っ込めるわけにはいかないのです。そして太陽の下に堂々と享受する権利がある、そういう類いのものです。


■ 一方。世界の状況は、というと。

www.huffingtonpost.com


上記のリンクには、"公共の場での授乳の権利を保護する"法律が施行されたアメリカの州を分かりやすく示した図があります。英語だけど図は分かりやすいので、是非とも見てみてくださいね。
 

コレを見るに、"公共の場で授乳する母の権利"を保護する法律が施行されていない州は、たったの3州である事が分かります。

さらにブラジルでも

www.theguardian.com

 

 美術館の監視員に授乳行為を咎められた母親の訴えが元で、ソレに対して「リオのカーニバルは何にも言われないのに、なんで授乳がわいせつなのよ!!」と怒った母親達による、なんと授乳しながらのデモが起こりました。



元モーニング娘。の辻希美さんが、「歩きながら授乳してる」と発言したことがかつて賛否両論を巻き起こしましたが、そんな問題が小さくかすんでしまうほどの豪快さです。想像するだけで心楽しく、愉快な気持ちになるデモですねえ。その後ブラジルでは、「公共の場での授乳を邪魔したものに罰金を課す」法律が出来たそうです。


参考:

news.livedoor.com

  

脱線しましたが、他にも"公共場所での授乳の権利を守る法が整備されている”国は、アメリカ、ブラジルの他、台湾、オーストラリア、フィリピン、イギリスなどがあります。先述の私の主張マエら、どうやって大きくなったと思ってるわけ?」「そっちが黙りなさいよ」という逞しき母の声が勝ち取った権利と言えるでしょう。

参照:

Breastfeeding in public - Wikipedia

 

と同時に、このような法律が整備されていると言う事は、授乳シーンを見て性的に興奮するけしからん輩が「人前で授乳してオレを興奮させるなんてけしからん」だとかなんとか、そのような恥ずかしい事を堂々と大声で発言して、そして逞しい母達に一喝された国、ということになりますね。

日本も恥ずかしい事に、このリストに連なる可能性が高いです。仕方ないですね。

 

■ 特に女性は自分の首を締めないようにしてくださいね。

まず私の個人的な意見としては、

「こういう論争が巻き起こる事自体が世も末」と思っております。少子化となって然るべきです。というか、改善する気が全く無いのが明らかです。

そして最も嘆かわしいことだと感じているのは、女性の中にも「公共の場では、授乳を慎むべき」という意見に加担している方がいる、という事実です。子どもに縁のない若い人ならまだしも、もう子どもをある程度の年数育てた方までそう言っているのを聞いて、これは異常な事だと感じました。だってね、それって

自分たちの授乳姿を「わいせつ」と公言し、ソレ自体を恥ずべきと思っている、ということですよ?気付いていない人が多いと思いますが、

それって

私たちの子ども達に恨まれても仕方ない、自分たち人間の首を絞めるような行為 です。



少なくとも母同士は足を引っ張り合わないようにしませんかね。デモは別に起こさなくてもいいとしても( 個人的にあまり趣味じゃないので・・・いや、お好きな方はどうぞ、ぜひ。)、授乳がわいせつなんて、あんたバカ?」と笑い飛ばすくらいには逞しくなりましょうよ。

もし若い男性が「目のやり場に困るんだよね」なんて呟こうものなら、「だったらオマエがとっとと退場しろ」と叱りとばしてください。もしくは、「まあ、ウブねえ♡」って微笑んで一蹴してください。

何と言っても、女性は母になる性なのですから。


もちろん、男性にしても同じではありますがね。父になる性だからね・・・。まあ父親になった男性は、こんなおバカな事は言わないだろう、と信じたいところです。

 
この議論は、次に「子どもを産むべきではない」という恐ろしいものに発展しうる、と思うのは考え過ぎでしょうか。「腹のでかい妊娠姿が気持ち悪いから見せるな」とかね。

■ 赤ちゃんにとって、授乳は食事ですよ

今でも忘れられない光景を、ここで皆さんにシェアしたいと思います。中学校時代、自分のお弁当を蓋でひたすら隠しながら、終始下を向いて食べる友人がいました。理由を聞ける雰囲気ではありませんでした。でも、何か悲しい、イヤな事があってそうなったことは周りの皆が知っています。彼女の頑な、そして物悲しい食べ方は今でも忘れられません。でも私たちは彼女を尊重して、その食べ方に深く触れず、受け入れていました。

その思い出を、私は以下の写真を見て思い出しました。この写真を見て、皆さんはどんな風に感じますでしょうか。

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出典:

Behance

 

 

授乳は、赤ちゃんにとって食事なのです。



我が家の子ども達は大丈夫でしたが、ケープで覆われる事を嫌がる赤ちゃんは少なくありません。それは考えてみれば、当然のことではないでしょうか?自分の食事に布をかけて食べたい人はどれだけいるでしょう。トイレで授乳しろと言われて、粛々と引っ込むお母さんの気持ちを考えると、私は胸が締め付けられるような思いがします。


本当は誰もが、明るい太陽の下でおいしい食事を食べたい、そう思っているはずです。そしてそれは誰もが持っている権利ですよね。

 

同じ人間同士、思いやりを持って生きて行きたいものです。


「授乳がわいせつとは思わないけど、別の〜〜と言う理由で自分は授乳シーンを見るのがイヤだ」という方は、是非ご意見を伺いたいと思っております★

mica

 

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”他人に対して物申したいとき”の作法って?

お題「これって私だけ?」

■ 最近、一時帰国していました。

シンガポールから日本へ一時帰国していました。理由は結婚式に参列するためと、七五三のお祝いです。

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結婚式!

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七五三!


東京滞在の前には長野によって、自然と温泉を堪能し
東京では家族イベントの他に、築地市場でお寿司を食べたり、奇跡的に滞在中・しかも予定の無い夜にチケットを取ってもらえた、オザケンライブを堪能したり!

とーーーっても楽しく過ごしたのでした☆


■ 色々あったけど、怒られた事について。

今回の日本旅行は、色々ありましたが。
中でも特筆すべきは、他人のヒトに怒られた事。

二度ほど・・・。

発端はすべて、このひと。

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我が家の四歳児、四番太。空気は読むけど、怒りんぼ。そしておしゃべりな男。



■ 怒られたことその1・電車の中で

ヒトに怒られた事・1回目は、電車の中でのこと。
ラッシュになる時間ではなく、夕方前の時間で、電車の中はパラパラとまばらに人が座っていました。

声の大きい人、四番太。公共の乗り物経験値はほぼゼロです。なにせシンガポールはタクシーが安い。それに、バスや地下鉄の半分の時間で目的地へ着いてしまうので、子連れはタクシーにすぐ乗ってしまいます。

私「今のっ。今の声・・・ボリューム10だったよ。2くらいの声で話して?ね?」

四番太「わかった!・・・これくらいでしょ?(小さくなっている)」

10段階で痛さはどれくらい?って病院で聞かれた事ありますか?「大体これくらいかな・・・」と自信が無いながらも答えてしまうこの方法、実は子どもにも分かりやすいのです。実際、発達障害の子に伝えるときにも用いる方法なのですって。

で、四番太も、「しずかに!」「うるさい!」って叱るよりは、こうやって言う方が、ちゃんと声をひそめられるのです。


しかし、すぐ忘れるのが子どもです・・・。


上記の会話を何度も繰り替えしながら、四番太は楽しくおしゃべり。あのひとは、本当におしゃべりな男なんです。気付くと向かいに座っているおばあちゃんが、ニコニコしてこちらを見ています。笑顔を向けられるだけで、母親というのはほっとするものだなあ、と思いつつ、私は実際、「すいてるから、まあいいか」と油断していました。

さて、比較的降りる人が多い駅に着いた時、突然もう一人のおばあちゃんが ”ずずい”と近づき、顔をぬっと近づけて

「君たち!電車の中では、もう少し静かにしなきゃだめよ?具合の悪い人だっているかもしれないんだからね!!」

と、語気荒く伝え、身を翻して電車を降りて行かれたのです。

 

私たちといえば、唖然・・・とした後、身を縮こませ、私の「・・・す、すみませんでした・・・」という声も空しく宙に消えて行きました。

その後、不憫に思ったのか、向いでニコニコこちらを見ていたおばあちゃんが、

「・・・おもしろかったわよっ☆」

 

と言い残して、やはり電車を降りて行かれました。ありがたいことです・・・。



■ 他人のヒトに怒られるのは、ありがたい。

なんというか、後味爽やかな電車の旅でありました。え?怒られたのに?はい、私、けっこう素直なんですよ。そして、あんまり「転ばぬ先の杖」とかは用意しないのです。だから誰かが私の行為に不快な思いをしたら教えてほしい。全力で謝ります。誰かを傷つけたり、不快にさせる気なんて、毛頭無いのですから。

そして子育ても自分ひとりで出来るとは思っていません。こういうのは子どもの成長のチャンスです。「子どもが自分にとって不愉快な行動をしたら、誰しもがそれを伝える権利がある」というのは私の持論。だから私もヒトの子に足を踏まれたりしたら、そしてそれが思いがけなく致命的に痛かったとしたら、「ちょっと、今の痛かったよ!」とかって怒りますよ。そして逆に自分の子が怒られたら、子と一緒になって「すみませんでした・・・」と謝ります。

少し前にもそういうことがありました・・・(遠い目) ママ友に平謝りしたなあ・・・。そういうときはケンカしません。素直に謝ります。
それに関してはまだおそらく時効ではないので、いずれ、いつか、記事にしたいと思います。

 
とにかく、件のおばあちゃんの伝え方は、とても潔くさっぱりと伝えてもらい、ありがたいことこの上無しと言う感じだったのです。そのおかげで私は四番太と、「あのね、同じ声の大きさで話していても、”うるさいなあ”って思うヒトと、何とも思わないヒトがいるんだよね」っていう話が出来るのです。「だから、なるべく沢山のヒトがいる場所では、小さい声で話したほうが、いいよね」って。

大事な事ですよねえ。あのときのおばあちゃん、ありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。


■ 怒られた事・その2・・・返りの飛行機で。

最初に言い訳しますが、私ね、ちょっと疲れてたんだと思います。ひとりで4歳と7歳の2人を連れて帰っていたのです。

そして普段はこども達が食事中に肘をつくだけで、左手をお皿に添えていないだけで、それはそれはうるさいんです。うるさすぎってくらいうるさいんですよ。中1の長女子に「うるさっ」って呟かれるくらい・・・(以下略)

それは置いておいて。

一方で私は、飛行機というのは、個人的に全く理不尽な空間だと思っています。人権を無視している。目の前にモニターを突き出されて、囚人のようだし。飛行機は大嫌いです。ファーストクラスでやっと人並みだと思う。大人にとっても、子どもにとってもです。

これはあくまで個人的な意見です。だから、ぜいたくだ、とか、じゃあ乗るな、とか、やめてくださいね。人それぞれ考えは違うものなんですから。乗らなくて済むなら、私だってあんなもの乗りたくありません。


だから、四番太が居心地のいい体勢を探して、ごにょごにょとうごめいていたのを、私はぼんやりと見ていました。「身体が辛いんだなあ」と。彼がおもむろに前の座席の背中についているテーブルを降ろして、足を乗っけようとするのも、ついうっかり、「足を伸ばしたいんだなあ・・・」と思って見守ってしまいました。

そのときです。

「ちょっと!なにやってるわけ?!」という声が斜め後ろから聞こえました。

ハッとしました。

しかし。

怒られている内容には納得しつつも、その人の言い方には納得出来ない自分がいたのです。

「何やってんの?」「信じられない」「ちゃんと教育しなよ」「ふつうはそんなこと、子どもにさせないよ?」

それらの言葉を聞いて、私の中には反発する気持ちが芽生えました。
もちろん、四番太を注意しなかった私に非がある事は分かっています。
それでも、素直に聞けなかった。それは正直な気持ちです。

(だから、やめてくださいね。「そんなことを思うべきではない」とか言ってくるの。思っちゃったのはしょうがないんですから。・・・言ってきてもいいけど、いつも通り即☆削除となります。あしからず・・・)

もしその人が、きっぱりと「それはやめたほうがいいと、自分は思う!」っていう風に私と四番太に伝えたとしたら。きっと私は先述の電車の中のように、素直に「はい、そうですね。。うっかりしてました!」って素直に非を認められたと思います。絶対に。

結局のところ、私はその人に謝罪しました。謝罪を要求するような言い方だったからです。


■ 「あなたのため」とか「普通は〜」とかっていうのは、作法に反してると思う。

「それは違う」ってスパっと言われるときは素直に聞ける。それは仕事でもそうです。

私はフルタイムでも仕事をしていますが、相当なうっかり屋です。よく細かい間違いをします。そのたびに、別のオフィスからメールで「みかさん、ここ、違うよ」とかって教えてもらいます。「うわー、ほんとだ。すみません!ありがとうございまーす!」って直します。(指摘するヒトのポジションで言い方は変わります) 以上でおわりです。

ちなみにですが、重大なミスとかは出来ないポジションにいるので、私がどれだけ間違おうと、あまり大きな影響はありません。でも日々進歩しているとは思います。(たぶん)

でも一度、こういう注意を受けた事がありました。「いつも完璧な仕事をしているかっこいいみかさんでいてほしいから、ここは直した方がいいですよ」

これもね、私は胸の中が“もやっ”としたのですね。そしてやはり、素直に聞けませんでした。でも好意で言ってくれたのが分かっているので、後で「ありがとうございまーす」って言っておきましたけどね。

「ここ、間違ってるよ」「それは私は違うと思うよ」だけでいいと思うんです。大事なのは主体が自分にあること。「誰かのため」とか「あなたのため」とかっていうのは、詭弁だし、茶番だし、偽善だと思います。


■ 匿名性が個人を狂わせるんだと思うなあ。

私に下らないコメントを残すヒトも(即削除してますけど)、多分実際会ったら、普通の人達だと思います。むしろいい人なのかもしれません。

でも、匿名となると、平気でエラそうで失礼なことを言うようになってしまう。品性を欠いたことを発言するヒトは、絶対に匿名です。

そしてちょっと前に、Conobieでこんな記事を書きました。

conobie.jp


母性神話を振りかざすのも、決まって匿名の人たちです。でもその匿名で品無く物申したい、ヒトを見下したい、謝罪させてやりたい、そういう深層心理が、もしかしたら私たちみんなにあるのかもしれない。だから、日本で子どもを育てるのは息苦しく感じるのかもしれない。自分が自分を責めているからです。雑誌一つ買えなかった、私の母のように。(上記記事にエピソードあり。)


そうならないために一番大事な事は、やぱり自分に優しくする事ですよね。自分を大切にする事。自分を尊重する事。ガマンしない事。自分を大切にした上で、現実とうまく折り合いをつけること。


ヒトに文句を言いたい、不満をぶつけたい、ってもし感じた方は、それが出来ていない可能性があると思います。


長文、お読み頂き、ありがとうございました♡



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「公園デビュー」が死語にならない理由。「こんな私だと思われたくない」のが原動力なのって、辛くないですか?

■ 突然ですが、

私はママ向けのアドバイザーの資格を持っているのですけども、ママに留まらず、全く異ジャンルの方から相談を受ける事がたまにあります。中でも、不倫の相談を受けたときは心底仰天しました・・・。自慢じゃないけど経験ありませんからね。しかし私なりにあれこれと考えた事を言っても、恋は盲目とよく言ったものです。真っ最中の方々というのは、聞く耳ゼロであるという事実を、そこから私は学びました。

■ とある相談を受けて考えた事

まあそれはいいとして、相談して頂いた方の中に「宮うちさんのように冷静になるにはどうすればいいのか」とおっしゃる方がいまして、私は自分が冷静だとは露程も思えないのでこれまた仰天して話を聞いてみると、どうやら“感情的になると突っ走って体当たりして玉砕して自分も周りも傷つける”というような行動パターンをお持ちのようでした。

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ちなみに、我が家の突っ走る人。



で、何度もしてるけどもうこういうのはやめたいというのが相談の主旨でしたが、どうもその方がとる行動のモチベーションというのが、「こういう自分はイヤだ、そういう人だと他人から思われたくない」という、ネガティブなものだったのです。

■ ネガティブな動機って??

「現実をこういう風にしたい、だから」という動機がポジティブなのに対して、「これが嫌だから、だから」という動機がネガティブと表現しています。

ネガティブでもポジティブでも、アクティブならいいんじゃないの?と言われるかと推測します。はい、その通りですよね。良いも悪いもない、それはただの結果ですから。


ちなみにご相談された方は素敵な男性で、確固たるポジションをお持ちですし、プライベートも充実して幸せそのもの。ですから私ごときが「いや、それは、やはり」なんて物申す権利もその気もさらさらありませんし、私が逆に教えてもらいたいことだらけだったのですよ。

しかしながら、彼の相談をきっかけに、「ネガティブな動機」なるキーワードが私の心の片隅に住み着いてしまったのです。

 

その理由はというと、「・・・うーん。。よく分からないな」という状態のまま、ある日「公園デビュー」に関する記事を依頼されました。

itmama.jp

(あの、最初にお断りしますが、ゴマキは本文の内容に、ぜんぜん関係ありません。ちなみにタイトルも、ライターの手からはかけ離れたところにあります)

■ 「公園デビュー」が死語にならない理由


「公園デビュー」って、未だに使われるんだなあ、ふうん。と何気無しに調べてみると、なんとこれは90年代の頃、バブル臭漂うあの時代に産まれた言葉なのでした。

公園デビュー - Wikipedia


団地妻とか、ジュリアナとか、そういうのとセットっていうことですよね。古いなー。もう、風化してもいいもんなのにな、と思います。「それ、死語ー。年がばれる!」って生意気な女子高生に腹抱えてアハハと笑われるようなレベルですよ、本当だったら。

でも何故こういう言葉を好んでメディアが使いたがるのかと言うと、やはりそこには意図があると思います。

・恐れを喚起する言葉としての「公園デビュー」

「公園デビュー」なる言葉の裏にあるのは、「自信の無さ」とか「恐れ」とかです。そういうニュアンスで登場することがほとんどですよね、この言葉って。「ママ達の輪の中に入れるか」「うちの子はうまくやれるか」みたいな、怖い感じ。まるで公園には、遊んでいる子どもとセットで「排他的で威圧的な恐ろしいママ達の派閥がある」ような錯覚に陥ります。

・恐れは人の目を集める

「自己責任」にも似た匂いがありますが、人の恐れを喚起する言葉は人々がとっても気になるのです。何故かと言うと、ほとんどの人は自信がないからですよね、きっと。メディアなんかにそんな小うるさく言われなくても、多くの人は「こんな私でいいんでしょうか」って周りをおそるおそる伺っています。そしてさらに、日本の都市部で子育てするママに当てはめると、この“自信の無い人率”はすごく上がると思います。

多くの人の注目を集めたいメディアにとって、恐れを喚起する言葉というのは、渡りに船、濡れ手に粟、・・・あと何かありますか。とにかく便利な言葉なんですね。

私も曲がりなりにもライターとしてお金をもらっているのだから、気をつけないといけません。何より自分がいやですよね、既に自信喪失気味のママを脅すなんて。全く本意ではありませんよ。だからこの記事は、「楽しむために」というポジティブな方向性を意識して書きました。

■ で、ネガティブな動機。
自慢じゃないですけど私はかつて自意識の塊みたいなママでした。例えばの話をすると、全然完璧になんて出来ないくせに、人が来るときは部屋はキレイにしないと嫌でした。“いつも綺麗にしているママと見られていたい”っていう自意識、エゴです。部屋を綺麗にする行為は、当時の私にとってはまず間違いなく“ネガティブな動機”に基づいていました。

・自意識が崩壊する瞬間をご紹介。
この自意識がガラガラと崩れる瞬間を私は経験したことがあります。それは三女が産まれて半年位たった頃、長女と次女の幼稚園での、お泊まり会の日のことでした。

長女は年長さんの仕事があるとかで先に行き、さて昼過ぎに次女を連れて行こうとすると、「いやだ、行きたくない」と。理由をきいたり、なだめたり、すかしたり、怒ったり、あらゆるアクションを起すもガンとして次女には通じません。

・・・思えば次女という人の“自分の感覚への忠実さ”は、小さい頃から今までずっと変らないのですね。。今でもごくたまにですが、特に理由無く「今日は休む。誰が何と言おうと」と休んだりします。

 

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突っ走る次女。

 

・ママ友、土足で上がり込む!!
わさわさと動く赤ちゃんの三女を傍らに置いて途方に暮れていたところ、玄関のインターホンが鳴りました。鳴らしたのは次女の一番の仲良し・Mちゃんのママ。私に代わって次女を幼稚園へ連れて行ってくれるために来てくれたのです。しかし次女は玄関に出てきません。するとMちゃんママは、靴を脱いでずかずかと上がりこんできたのです。全く他人仕様ではない、用意の出来てない、端的に言うととっ散らかった汚い部屋に!!私は凍りつきました。

Mちゃんママは鮮やかに次女を説得し、次女を連れて玄関から風のように去っていきました。私はまるでそのとき、Mちゃんママが土足でこの部屋に上がってきたかのような錯覚を憶えました。それくらい、衝撃的なことだったのです。“汚い自分の家に他人が上がる”ということが。

・「ガラガラ」という音を聞く(ウソです)
と同時に、感謝の念と涙が溢れました。全く見返りを期待しない純粋な愛を、その時の私は確かにMちゃんママから受け取りました。裸でむきだしの私だったからこそ、それが受け止められたのです。偽って、飾った自分では、理解出来なかったと思います。

次女が、三女が産まれてからよくやってきたこと、それでも忙しすぎる私を見て不安に思っていた事、その事実を一人ではどうしようも出来なくて、困り果てていた事を、その時はっきり自覚しました。

私は、誰かに助けてもらいたかったんだ、ということを。

そして、私の自意識が「ガラガラ」と音を立てて崩れ去ったのです。

■ ネガティブな動機の裏に、自意識あり。

ネガティブな動機っていうのは、ある側面においてはいいと思いますよ。例えば仕事の場面とか。上司とかお客さんの信用を勝ち取るためには、これはおそらく無視出来ないものです。

でも例えば「お母さん」として、普段着の自分で、行動のモチベーションがネガティブ、つまり、自意識を守るのが目的であるというのは、けっこう辛い事だと思います。

何故なら、「助けてほしい」と言えなくなります。どころか、「助けてもらわないとやっていけない自分」を認識出来なくなります。これはけっこう危険です。健康を害してしまうレベルに、簡単に自分を追い込んでしまいます。実際に産後うつになったことのある私ですので、その状態はよく分かります。

■ ポジティブな動機で動くママは、「公園デビュー」なんて気にしない
さて長らく読んで頂きましたが、ここでやっと点と点が繋がります!!私もここまで、「この文章、どこで繋がるんだろう・・・?」と疑問を持ちながら書いていましたが、やっとです!よかった!

自他共に認めるおばちゃんであるところの私は、全く公園デビューなんて意に介しません。ここシンガポールにも日本人ママの派閥めいたものはありますけども、全くどこにも属していません。(ええと、友人がいないわけではないですよ。。)

目的は、子どもが楽しく遊ぶこと。その楽しそうな様を、心楽しく眺めること。これにつきます。(子ども同士の喧嘩はさらに、私にとって心楽しいことなのです。。その理由はまた別の機会に)

ちなみに、同じマンションで一人だけ何かの集まりに呼ばれない、とかも経験あります。でも私にとって大事な人たち(家族ですね!)は、私の事が大好きだし、仲良しで幸せという自信を持っているので、自分の中の優先順位が下の方である赤の他人に嫌われると言う事実は、全く些末なことでした。

■ ポジティブな動機 = 自分自身
部屋の例で言うと、今でも私は綺麗好きです。空のトイレットペーパーホルダーが転がっているのも、本が本棚ではないところに転がっているのも、ものすごく気に食わないので、さっさと片付けてしまいます。

でも、それは、誰か他人のためではなく、一部の隙も無く自分のためです。

■ 自分に優しいポジティブな動機と、自分に厳しいネガティブな動機

そして私はマネジメントが上手くないし、そもそもやることがたくさんあるので、掃除ひとつにしても完璧には出来ていません。でもそれも仕方ないよなあ、とあきらめています。そういうときに人が来ても、「そういう時だからさ」と言い訳しています。(人にも、自分にもね)

子ども達の学校からの提出物すら、完璧には出来ません。もちろん、最善を尽くしているんですよ。でも、「鉛筆で書かなければならない書類に、ペンで記入した」と長女に怒られ(彼女は怒りすぎて泣いていました)、「PTA会費が出ていません」というメッセージに平謝りし・・・という日々です。いや、締め切りを守れる時もありますよ!もちろん。

でも「だめだなあ、私」とは思っていません。「あちゃー、失敗した。ごめんごめん。次はカレンダーのリマインドに入れるから」という風に前向きに考えます。それで嫌な思いをする人(子どもですけど)には、心から謝ります。

子供達は私の姿から学び、提出物はペンを持参してきます。「今、この場で書いてくれ」と。私はすごく感動して、お礼を言いました。ありがとう、これならママ忘れずに済むね!と。

自分が完全無欠ではないということが、誰かの成長に必要なのですね。だからいいじゃないですか、完璧でなくても。(たとえ子どもに「開き直りすぎでは」と言われようとも・・・)

っというふうに、ポジティブな動機による行動は、たとえそれが上手くいかなかったとしても自分を責めはしません。

対してネガティブな動機は、どうも自分を責めがちです。自分に厳しい。もし私がこんなに能力が無いのに、「提出物は完璧なママを目指すわ!」と意気込んでいたら、自分のダメさ加減に打ちのめされていたことでしょう。

■ おわりに。

ママ向けの媒体に記事を書いている私が一貫して伝えたいメッセージは、「あなたはそのままで完璧にOKな存在なんですよ」ということです。上から目線で「こっちへおいで」というのではなく、「一緒に、自分自身になりましょうよ」ってことです。それはかなり心地よく自分も他人も許せる、楽な場所なのですよー。ほんとに。

まあ、私もいまだに姑相手にはネガティブな動機で行動することがありますけどね。。

しかし出来る限り、ポジティブな動機で行動すること、つまりは自分自身でいることを心がけているし、これからもそうするつもりです。そのほうが楽しいしね。そして夫や子ども達は、きっとそんな私を見ることが心楽しく、嬉しいでしょうから。


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【自宅出産について思う事】初めての苦情メールを頂きました。ありがとうございます!

「自分のスタイル」というものがないと、表現する職業と言うのは、誰の印象にも残らず、通り過ぎ去られてしまうものです。

ライター業を始めて1年が過ぎ、やっとモヤモヤと空に漂っていた私の「スタイル」なるものの形を、初認識出来たような。そんな気がしています。

■ 初めての経験、苦情メール☆

というのもね、始めて苦情意見を頂いたのです。今まで、スパムのコメントや、単なる誹謗中傷はありましたけど(即削除して相手にしておりません)

苦情が来たのは、こちらの記事に関して

itmama.jp

■ 苦情メールの内容

匿名メールでのご意見でしたので、全文掲載させて頂きます。ちなみに今後も匿名の方にはお返事は致しません。この方は「返信不要」と書いていますけど、その一文が無くてもしません。代わりにこのハテナブログのこけら落としに検証してみたいと思います。以下全く編集していないメール全文です。

自宅出産のメリットやバースプランに関する記事を見ました。

私は二人の子どもを持つ助産師です。

記事を読んで、気になってメールした次第です。

まず、自宅出産を選ぶ人は意識が高いというのは、事情があって医療機関で産まなければならない人に対して配慮が足りない文だと思います。

近年は、高齢出産で難産になりやすかったり、低出生体重児や母体の合併症が増えています。
また、妊娠中は健康でも双子の場合は総合病院などで帝王切開です。
医療機関で産んだ方が赤ちゃんにもお母さんにもいい人たちは、医療機関をすすめるべきです。そしてそのような人がこれを読み、自宅出産を希望するとします。医師は反対するし、助産師も受けないと思います。

医療機関で産んだら意識が低いのでしょうか?健康意識が高いか低いかで、出産場所が選択されているとは思えません。

医療機関で産む人も健康意識が高い人はいますし、他人任せにはしていないと思います。

医療介入の必要性がないのに、例えば薬剤の処方をするのはおかしいですが、医師によってその処方の根拠が明確で、またその処方を行わなければ生命の危機に陥る可能性があるときは患者として受けなければならない。
だから医師は同意書を作成してサインしてもらったり説明を行うのです。
受けたくないならこの時言えばいい話で、記事を読んでいて、医師の処方を信じるな、医療介入受けるなともとれ、非常に頑張って仕事をしている産科医に対しても失礼な発言と思いました。

返信は不要です。以上です。


■ 苦情に見る、「他人主体」な姿勢を検証!

大体苦情というのは、「こんな意見を大々的にアップして、真似するひとが出たらどうするんだ」というものが多いですね。それはやはりやはりやはり、「短絡的に過ぎるだろうー!」と思います。

全ての人は自分の行動を決定する権利を持っている。他人がどうのこうの言って誰かの行動を思い通りにしようなんてことはもってのほかだし、例え「あのひとがこう言っていたから、だから自分もそうしたんだ」という場合でも、その決定権は意見を聞いた“あのひと”では無くて、間違いなく自分自身にあります。責任を転嫁する事は出来ません。

責任転嫁してばっかりの人が、我が家にはたくさんおりますけどもね。。ま、子どもだからそれは許される事です。でも常々こども達には「自分の行動を、誰かのせいにしない方が良い」という話をしています。全然意味分かってないと思うけど。「四番太が叩いた〜!」「だって、三女が叩いたから!!」というやりとりは食傷気味です。しかし私も、「夫が二日酔いで寝てるから、みんなつまんなそう。せっかくの日曜日なのに!」なんてことを言った事がありますけどね!あはは!

閑話休題。

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↗︎我が家の他人主体なひと。

本題に戻ります。

■ 自分以外の“短絡的な人”を想定する、主体不在のクレーム

医療機関で産んだ方が赤ちゃんにもお母さんにもいい人たちは、医療機関をすすめるべきです。そしてそのような人がこれを読み、自宅出産を希望するとします。医師は反対するし、助産師も受けないと思います。

当然反対されると思います。何故なら「これを読み、自宅出産を希望する」ような浅はかな人々ですからね。私はそんな考えの浅い人がいるなんて全く想定せずに、この記事を書きました。なんだかよく分からないライターが書いた記事に「よし!わたしも!」なんて思う人は、医師から反対されて然るべきです。その前にそのひとの家族から「おいおい、ちょっと待ってよ」とストップがかかると思います。

自宅出産は、もう少し色々考えて下調べして、夫や実家の両親なんかにも相談して、やっと選択出来る敷居の高いものです。現代ではね。勉強と根回しが必須です。ぼんやりしてる人は、とても経験出来ません。

さらに、母体自身がほとんど何も問題なく経過している事は、自宅出産する上での、大・大・大前提です。医療機関で産んだ方が良い人は、医療機関で産むべきです。どっかのライターやら二児の母である助産師さんとかからすすめられようが、すすめられまいが、どちらにしても、ご自分で選択するべきですね。

まあそれはそれとして、もうちょっと深くこのコメントを見てみると、人に文句を言って自分の正しさを主張したいときによく使われる手法が見えてきます。「普通の人はそんなことしない」とかなんとか言って、“自分以外の誰かが迷惑するから、そんなことはやめた方がいい”というような、どっから目線なのか分からない、もっともらしく聞こえてしまうような口調です。(姑にも、「ふつうのお嫁さんはそんなこと言わない」とか言われた事があります。フンだ。)

私は個人的にこういう言い方がすごく嫌いです。卑怯だと思うし、潔くないし、かっこわるいと思っています。(さんざんですね!)正直に「私はあなたのことも、あなたが言ってる事も気に食わない。そんな記事を書いてお金をもらってるなんて、ずるい」とでも書いてくれる方が、素直に「すみませんでした。楽しくて幸せで。あなたも幸せになりますように」と祈ってあげられるというものです。

■ 自宅出産を選択出来る人は、意識が高い。間違いなく。

医療機関で産んだら意識が低いのでしょうか?健康意識が高いか低いかで、出産場所が選択されているとは思えません。

医療機関で産む人も健康意識が高い人はいますし、他人任せにはしていないと思います。

記事の中で、「医療機関で産んだら意識が低い」とは一言も書いていません。人の口に自分の言葉を突っ込むような暴論だと思います。こういうケンカが、女の人は得意ですよね・・・。(「どうせあなたは私の事なんとも思ってないんでしょう!」みたいな)

自宅出産が出来る人は間違いなく意識が高い人です。実際経験した人なら誰もが分かると思うけど、それはそれは反対と心配と呪い(何かあったらどうするの、って物言いは、「何か」を期待しているようにしか聞こえません)の猛襲を受けます。立ちはだかるハードルを次々とクリアし、協力と賛同をゲットしなければなりません。それには当然ながら、「やりたいんだから!!」というただの我が儘ではなく、あらゆる想定をした上での対処策に加え、強い意志と熱意を波風立てずに伝える必要があります。(波風立っても、結果よければいいんでしょうけどね)

 

■ 「意識が高い」って、こういうこと

「意識が高い」って、最近よく聞くけど、どういうことなのでしょうね。少なくとも私は、こういうことだと思います。冷えが良くないとか、お母さんが口に入れるものが赤ちゃんに影響するとか、そして避けた方が良い悪影響がある食べ物はどんなものなのか、とか基本的な知識があることはもちろんですが、この苦情メールとは正反対の主体的な姿勢を持っています。

「自分の行動に、自分で責任を持つ」という姿勢が無いと、特に現代では自宅出産なんて少数派に自らなるなんて、とっても出来ません。「意識が高い」というのはそう言う意味です。かといって、「病院で産む人が意識が低い」とは一言も申しておりません(二度目)。

■ 読解力のある人には不要な、この記事で伝えたかった思い

この記事は、実は全く違う角度のテーマで依頼されたものです。「世界の出産事情」とか、そんな感じ。しかしネット上で検索したら、でてくるでてくる、「世界の出産事情」。中でも面白かったのが、スイスのもの。あるサイトにあった情報によると、スイスでは「出産後1時間ほど、新生児と産婦は暗がりで過ごす」とのことでした。へえ、そうなんだ、と思って、スイス在住、4年前に出産した友人に質問。「こんな情報見つけたけど、これってほんと?」と。すると友人曰く「聞いた事無い。病院ではそういうことしないよ」と、あっさり誤情報確定です。助産院ではもしかしたらそうなのかな、とも言っていましたけどね。いずれにせよ、あまり一般的ではないようです。

こういう不確かな情報よりも、私自身が経験した事なら間違いなく本当です。それは誰も認めてもらえなくても、私自身が認めています。それらを記事にする事で伝えたかったのは、「自分で出産方法は選べるよ、病院が提示するやり方だけじゃないんだよ」ってことです。

母同士の共通の話題として「出産話」というのは鉄板です。中でも私は、「どれだけひどい目に合ったか自慢(出産編)」というのをけっこう聞いてきました。全く何も問題も不満も無い出産話の方が絶対的に少ないです。

一生に一度の我が子との対面を、悔いのないものにしたい。多くの親がそう思っていると思います。もしくは、悔いが残る可能性にすら、気付いてない事も多いでしょう。現代の病院のシステムは、医者主体で進みます。そこにお産も組み込まれているのが現状です。私は自分のお股を医者の目線まで持ち上げられる屈辱に耐えられませんでした。それで、自分のお股の目線まで降りて見てくれる助産師さんに介助をお願いする事にしました。そのために必要な情報を自らあちこち探って調べました。

上記はあくまでも私の場合は、ということです。べつにお股をぐいーんと持ち上げられる事なんて、なんともないという方もいらっしゃるでしょう。もしくは、それはイヤだけど、病院の方がいい、と選択する方もいるでしょう。「自分で選択したこと」は全て正解だと思います。べつに私が「それは正解!」とか言ってあげることでもなく、ご自分が「これでいい」と思える、それが大切ではないでしょうかね。

誰も教えてくれなかった、そんなこと知らなかった、出産の方法を選べるなんて、考えもしなかった・・・。そういう人がなるべく少なくなりますよう、自分主体のお産が出来ますよう。それが私の願いで、この記事で伝えたかった事です。


今後は長文記事は「宮うち みか」名義で書いていく予定です。

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