拝啓、フキゲン妻の皆様@はてなブログ

毎分毎秒幸せ発見能力開花☆ごきげん妻を増やすコーチです

中田あっちゃん氏「いい夫やめます」宣言に学ぶ、フキゲン妻脱却のヒント☆

⬆️ 初めましての方はこちらから。

 

さて、皆さんは、もう読まれましたでしょうか。共働き夫婦の為のウェブマガジン『日経DUAL』の、中田のあっちゃん氏の連載『中田敦彦 イクメンアップデート中』を。(爆笑オンエアバトル時からのファンですので、親愛をこめてあっちゃん氏と呼ばせてくだせえ)

読んでなかったら読んできてね。イヤだったらべつに読まなくてもいいですけどね。(どっちだよ) その最新回である『中田敦彦HUMANアップデート中』(連載名変わったんですネ。意図が良く分かります) 第一回「方針変更!「良い夫」やめました」が物議を醸しているのを、やはりTwitterでミカは知りました。

dual.nikkei.com


でね、この記事に関して、流石は匿名で言いたいことを言うロバの耳穴、であるところのツイッターです。まぁそれはそれは、上から目線のバッシングが多いこと多いこと、という感じ。FBで最初に見かけたシェアも、バッシングでした。


しかしながら、それら非難や批判の意見を読んでも、ミカはさっぱりひとっつも、共感出来ないのですね。むしろ、むくむくと擁護したい気持が大きくなってきましたので、ハッキリと「中田あっちゃん氏擁護」のハタを「勝訴」ばりに掲げて、この記事を書き上げたいと思います。

また、その際、ここには「フキゲン妻の皆様が、フキゲンを脱却するヒント」が盛りっ盛りに読み取れると思いますので、その辺も合わせてお届けしたいと思います☆フキゲン妻の皆様、必読ですぜ。げへへ。



☆中田あっちゃん氏の行動の成果


まずねまずね。この「良い夫やめます」記事だけ読んで非難されている皆様、ひとつだけでいいので、コレを読んでみて下さい。

 

dual.nikkei.com

 

やだよー、読みたくないよ、という方のためにまとめると、ここで中田あっちゃん氏のされていることは、以下です。


・週一は休みを確保する(それだけでも吉本興業では革命的だったのではないでしょうか)

・それでもチーム中田家の負担は減らないことを確認


・妻にヒアリング、「休みをレジャーに費やすのではなく、1日のいちばん忙しいピークタイムにいてほしい」


・そこで17時〜のピーク時に在宅するようにする


・仕事を整理。将来性とコストを指標に、無駄を極力省く。大前提は「家族が最優先」


・自分たち家族のライフスタイルに見合ったコストを試算。それに合った収入を意識する。


・そのゴールは、「人生の豊かさ」

 

 

お見事・・・!としかいえない、リーダーシップでございます。

 

もちろん、働き方改革は一筋縄では行かなかったことと推察致します。なんといったって、ひとりで仕事している人はいませんからね。そして100メートル競走みたいに、「ようい、どん!」→「ゴール!」みたいな感じにはいきません。

 

時間がかかったとしても、目的地と最優先事項のふたつをカチリと固定していたからこそ、「家族との時間を増やし、さらに収入アップ」という三方よし状態を獲得出来たのでしょう。



☆満たされない妻、置いてけぼり。

 

が、しかし。

在宅時間が増え、妻さんから気軽に色々頼まれるようになっているし、収入は上がっているし、子どもとの時間もたっぷり取れているし、と、結果出しまくっているご自分に有頂天・・・のときに、まさかの妻からの不満爆発。(おそらく晴天のへきれきという感じではなく、ちょこちょこと爆発していたのではと思います、勝手な推測ですけども。)


で、カウンセリングを受けることに。カウンセリング中に、ご自分も不満が溜まっていたことに気付かれたそうです。

 

でもね、ちょっとね、ここでひとついいですか?妻から「カウンセリングを受けて欲しい」ってお願いされて、それに応じる夫って、めっっちゃくちゃ、めっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃくちゃ、妻に寄り添ってると思いません???ミカはそう思います。


なぜなら、男性って、プライド高い生き物です。誰かに助けを求めるならば、自分でなんとかするし。っという傾向が、往々にして見られる生き物です。そのことは皆さんもよーーくよく、ご存知かと思います。


さらに、高学歴、頭めっちゃいい中田あっちゃん氏です。プライドが低いはずがありません。そんな彼が、妻の提案に従ってカウンセリングに同行したというこの行動は、妻への愛以外の何者でもなくないですか。愛じゃないですか。ねえねえ、愛でそ?(しつこい)ここでも、一貫して愛を行動で示すひとということが見てとれます。



そーいうことも、どうぞ皆さんの心に留めて頂いて。



で、中田あっちゃん氏、「あれもこれも家族のためにやめたし、そっちもあっちも妻に合わせたし、なのになんで不満なんだ!!!」という不満。それをカウンセリングで気付いたということでした。

 

この、夫と妻、双方の不満は、実はミカ家夫婦がまんま通って来た道なのです。ですから、僭越ながら、勝手に解説させて頂く失礼をどうぞお許し下さい。

 

まず、男性と女性では、視点が全く違います。男性が遠く未来を見据え、その上で行動を理性的に選択する性なのに対し、女性は近視眼的です。目の前の事柄に一喜一憂し、それを誰かに、出来ればいちばん近くにいる夫に全部(ええ、全部ですが何か?)聞いて欲しいと思っている。


これは別に良い・悪いではなく、至極当然の話です。特に出産後、女性はすぐ目の前で泣いたり動いたりしている赤ん坊に集中せずにはいられませんし、男性は動けない妻子のために、食い扶持を稼がなくてはなりませんからね。動物として自然な図式と言えます。


そのように男性は「食い扶持」つまり言い換えると「結果」に向かって、着実にまっしぐらに歩む性です。その過程において、女性に対して特に、「ずーっと向こうにめっちゃうまそうなマンモスがいるだろ?だからまずそのヤブに身を潜めて、様子を見てみるよ。で、いけそうだったらあそこからあっちに進んで、折りをみてアイツが飛び出すだろ。それに気を取られているマンモスを、この矢じりでグサっとしとめるというわけ。だから3、4日待ってろよ」とかって、わざわざ説明する性ではないわけです。マンモスを矢じりで仕留めるのは無理でそ、という指摘は甘んじて受け、謝罪します。ごめんなさい。


(でも、あっちゃん氏ならやりそう・・・マシンガントークで・・・って今ふと脳裏をよぎりました。でも妻聞いてなさそう。産後はボーっとしますしね。←そこ?)



ですから往々にして、女性は男性の行動の真意を理解せず、「あのひとなんであんなことしてんのかしら」「ヤブにひそんで、何みてんのかしら」とかって思いがちです。「今、ウサギでもいいからほしいのに」「さっき赤ん坊寝なくて、すっごい疲れたから愚痴りたいのに」「帰って来たらすぐ寝ちゃうし」「そのくせ、自分がすごかった自慢ばっかするし」「なのに、なんなわけ?マンモスとか。自分だけたいそーーなことしてるみたいなさー。」とかって、ママ友同士で愚痴ったりね。


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で、ニッコリと、マンモスを抱えて夫帰宅。それを苦々しく見る妻・・・なんと悲しいすれ違いでしょうか。お互い一所懸命やっているだけなのに。


チーム中田家の上のお子さん、まだ4歳とか5歳とか、そのくらいなんですよね?言わば、子育てにおける、体力的に大変な時期のピークと言えます。この時期の子育ては、本当はワンオペなんてとんでもないんです



そんな大変な時期に、妻のために、家族のためにと、素晴らしくものすごい勢いで行動し、ガンガン輝かしい結果を出す夫に対し、妻は置いてけぼり感ハンパ無かったのではないでしょうか。

これはあくまで想像ですが。共働きとはいえ、タレントとしての仕事を継続していたとはいえ、子ども中心の生活は、これまでとは全く異なる世界でしょう。一方で夫が仕事で成果を出すのは、これまでの生活の延長線上という見方も出来ます。


夫は動ける、わたしは動けない・・・。

夫は役に立っている、わたしはなにも役に立っていない・・・。


世界から見捨てられたような孤独感を、子どもが小さな頃に味わった方、きっと少なくないと思います。



☆置いてけぼり妻、フキゲン・モラハラー化


満たされない思いをストレートにぶつけられないと、妻は卑屈になり、最悪の場合、モラハラー化します。

 

記事中に旅行とかお風呂のこととか色々書いてありましたけど、全部チンピラか当たり屋みたいなものです。いちゃもんをつける理由をいつでも探しているのですから、こういう時代は夫がどんなことをしようと、妻は「ブー。それは不正解でーす!!」って言うんです。多分ですけど、他にもこういう事例は枚挙に暇が無いのもいいとこだったのではないでしょうか?


卑屈になった妻は、夫を自分と同じ土俵に引き摺り下ろしたがります。自分がこんなみじめな思いをしているのは、オマエのせいなんだということを、あの手この手で夫に知らしめようとします。人のせいにしたいのは、自分に向き合うのが痛すぎるからです。夫にダメ出しする妻は、その倍以上、自分にダメだししていますから。


それでもそんな妻を前に、夫の胸中にあるのは、「オレはこんなにやっている」「だって、マンモスだぜ?」という思いです。(実際やってるから悲しいすれ違いなんですけどね。いえ、マンモスは比喩ですよ、念のため)



ここでカウンセリング、というのは、もうものすごいベストタイミングだったのではないでしょうか〜。流石、頭のいいカップルは違うなあ、と唸ってしまいます。私はなんという遠回りをし、どれだけ夫を責めぬいたことか・・・どれだけ自分を痛めつけたことか〜。嗚呼。まあそれも全て今ネタですから、無駄ではないのですけども。


 

☆あっちゃん氏の提案に見る、フキゲン妻脱却の大ヒント


カウンセリング後、(次の日ですから、どんだけ切り替え早いんですか。流石や・・・)あっちゃん氏が妻さんへ提案したのは、次の通りです。

「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」

 

この前提のもと

 

「キミが本当にかなえたい家庭像や、人生像は一体何なの?」

 

と、妻さんに問われた、と。

あっちゃん氏の文言を、切り貼りしてしまうことをどうか許して頂きたいです。あああ。この辺りの文章は、もう非常に味わい深い。是非読んで頂きたい。様々な思いが込められています。家庭のこと、妻自身のこと、自分自身のこと、そしてなによりご自分がどう、妻に対して、家庭に対して、世界に対してベストな存在でいられるか。そこまで考えた上での、「カウンセリングの翌日」の切り替えですから、もうギャフンという感じです。切り替え早・・・!(二度目)


やはり引用しよっと。以下引用です。


「いい夫」であるために課していたことを一切やめた

 僕のほうも、フィルターが1つかかっていました。夫や父親の立場でこうやってインタビューを受けるので、家庭の状況を公に報告することが普通のことになっていました。話をできるようにしておくため、無意識に「いい夫であろうとするフィルター」が働いていたんです。夫婦や家族にとって良い環境を整えようと、過剰にしていました。

 これまで正義だと考えていたことは、真逆だったのかもしれない。そう思い至りました。 カウンセリングを受けた翌日から、「方針を変える!」と妻に伝えました。

 仕事が終われば直帰していたこと。帰り時間などこまめに連絡していたこと。在宅時間を意識的に増やすこと。朝早く起きることなど、「いい夫」として課していたことを一切やめました。朝も起きないし、連絡もしない。その日のうちには帰るけれど、何時に帰るかは分からない。そんな感じです。

 大前提として、「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」と位置付けるんです。世間一般の良い親であろうとする「良い夫フィルター」を外し、妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい。全部クリアに、フラットにして考えました


 「離婚してもいい」という立ち位置でもう一度見直してみないか? と妻とも話をしました。

 妻の「子育てを一緒にやって!」「ワーク・ライフ・バランスはどうなっているの?」の主張を聞いていると、妻自身が育児家事で味わう負荷を同じように背負ってほしいという理由で、僕を制限したり、家に入れたりしようとしていると思えたから。

 ママ友たちと話をするんでしょう。うちの夫はこうなのよ、ああなのよ。そのうちに妻たちの間で強烈に「良い夫像」が形成されていき、そこからいかに自分の夫が外れているかの、グチ大会になっていくのだと思います。

 友達の夫と比較して、わが夫の長所に気づくならいいと思います。でも、足りないところに目を向けるのはものすごく非生産的ですよね。

 個々の夫には個々の夫の、強烈な長所があります。そこを重点的に伸ばして、自分にフィットする家庭を作ることに注力したほうがいい。その人にはその人にしかない長所が必ずあるのに、夫を平均化しようとすることがその家族にとってベストパフォーマンスなのか、ということです。

 僕の場合は、新しいことを企画して挑戦することや、利益を生み出す仕組みを作ることが、とにかく楽しい。その稼いだお金でいい車に乗りたい、いい家に住みたいという欲はない。お金を稼ぐことで、人が雇えたり、人に貢献できたりするから面白いんです。

 僕がそういう人間だと妻に分かってもらったうえで、「キミが本当にかなえたい家庭像や、人生像は一体何なの?」と改めて聞きました。

 仕事が好きで稼ぐことが得意な男を夫に選んだのだから、「キミが負担に感じていることがあるなら、僕の利益で家政婦さんやシッターさんにアウトソーシングしてはいけないの?」とも。

 妻を追い詰めているわけではないんです。妻を楽にするための手段として、「それは僕じゃなくてもいいじゃない?」ということはある。「僕が育児家事をする」という手段が、目的化していたところがあったからです。

 「良い夫」を脱ぎ捨てたことで、妻は「これまでの自分の対応を反省している」といった趣旨の手紙をくれました。以前より、優しくなったような気もします。

 「良い夫」に価値基準なんてない。自分の夫に対して、今よりも良い夫になってほしいという理想をまず捨てませんか。夫のほうも、自身の資質を無視したような「良い夫」になろうとしなくていい

 うちの場合は、家事はアウトソーシングをしながら夫婦個々の資質を生かして役割分担をしていけばいい。今のところ、そんなふうになっています。

 

*****

 大前提として、「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」と位置付けるんです。世間一般の良い親であろうとする「良い夫フィルター」を外し、妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい。全部クリアに、フラットにして考えました


 「離婚してもいい」という立ち位置でもう一度見直してみないか? と妻とも話をしました。

 妻の「子育てを一緒にやって!」「ワーク・ライフ・バランスはどうなっているの?」の主張を聞いていると、妻自身が育児家事で味わう負荷を同じように背負ってほしいという理由で、僕を制限したり、家に入れたりしようとしていると思えたから。

 
⬆️
わたしはここを読むにつけ、福田さんは、そーとー、中田あっちゃん氏を追い詰めたのだなあと思いました。不満と悲しみをそのまま伝えず、フキゲンな行動や言動で表したのではないでしょうか・・・。っと同時に、福田さんご自身も、自分のことを崖っぷちまで追い込んだのでしょう。

 

ぜったい夫よりも自分がいちばん辛いし、いちばんがんばっているし、いちばん苦しいと思っている。そういう状態の妻は、自分がしている我慢を夫もしていないと感じたら、苛立って仕方が無いんです。

さらに夫は、「妻のために」と言いつつ、平均的良い夫をこなせてしまっている。文句の付け所がありません。さらにさらに、それによって、社会的評価を得ている。それに対し、子どもを産んだことで、一気に表舞台から下がり、スポットライトから遠ざかった妻。そんな妻の、あなたの見ているのは一体なんなわけ?「いい夫」がゴールなわけ?わたしのことを見てよ、わたしの気持ちを知ってよーーー!!!という叫びが、聞こえてくるような気が致します。


カウンセリングを受けることで、あっちゃん氏は、おそらく意識的にか、無意識的にか、自分がフキゲン妻メーカーだったことに、やっと気付いたのでしょう。そして、共依存関係に、半分足を突っ込んでいたことにも。そして何より妻の本音が、「いい夫」なんて望んでいないのだということに。


きっと夫婦間には様々な軋轢や葛藤や諍いも、たびたびあったことと推察致します。あれだけの結果を出すほど、従来のやり方をガラリと変えるという偉業を成し遂げたあっちゃん氏なのに・・・。(個人の慣習はおろか、会社のそれまで変えることが、どれだけ大変か想像がつきますか?わたしはつきません。それを成し遂げたことに、繰り返しますが本当に敬服致します。)

悪意はひとっつもない。頭の先からつま先まで、愛が起源の行動です。ですから 胸の痛くなる話ではありますが、これは赤ちゃんがいる夫婦あるあるな話でもあります。けっこう多くの方が通って来た道なのではないでしょうか。

 

でもそれって、全然悪いことじゃありません。すごくありふれているし、なにより非常に人間らしい話です。どこの家庭にも、ゴロゴロ転がっている話です。そうではないですか?間違いは誰にでもあるし、間違えない人間はいません。



自らの間違いに気付いた。そこでフラットにしたこの軽やかさにもシビれます。くー。

(間違いに気付くどころか、認めない人が大多数ですからネ)

子育てに体力をいちばん使う時期、妻にとって(キャリアを築いてきた妻なら尚のこと)、いちばんの不安は、元気に成長する子どもではなく、自分自身の未来です。


「まあまあ、そんなアナタ、子どもが一番可愛い時期じゃない、のんびりしなさいよ」なんていうおためごかしを言われようものなら、牙をむいて唸りたくなるくらいの心境になったこと、ありませんか?それくらい母親は、目の前のことばかりを見て繰り返す毎日に、心の底からうんざりすることがあるんです。

そしてそんなことを正直に言ってみてくださいよ。今あっちゃん氏を非難批判している輩が、クルリときびすを返して、「母親のクセに」と矛先を変えることうけあいです。福田さんはきっと、立場的にも苦しかったのではないでしょうか。


そんな、心中自己否定を繰り返し、愛する夫にも牙をむいてしまう、ぐちゃぐちゃなとき。そんなときに夫から、「キミが本当にかなえたい家庭像や、人生像は一体何なの?」と問われたら。

夫のあらさがしをするよりも、文句を言いながら日々過ごすよりも、フキゲンな顔をし続けることよりも、君の人生において、一番大切なものは、もっと他にあるんじゃないの?

と言ってもらえたら。

 

自信を失い、傷だらけで、みたくない今の自分。そんな自分がかつては持っていた、本当は今も持っている、美点に目が向けられそうな気が、してきませんでしょうか?その美点が活かされた遠くない未来が、視界に現れてきませんでしょうか。

地の底で這っている最中、ガラガラと風穴が開けられ、そこから光が見えるような。そんな素晴らしすぎる提案です。あー、愛だわ・・・。


そしてね、何よりも何よりもフキゲン妻に足りないもの、それをあっちゃん氏は軽やかに提示しています。それは何かと言うと、

「私たちはもっとカンタンに幸せになっていい、“快”を追及していいんじゃない?」

という視点です。

 

自分にダメ出しし、イジメぬいているフキゲン妻は、自分が幸せになることを拒否しますからね。「なんでそんな大変な方向を選んじゃってるわけ?」っということを、あっちゃん氏は言いたかったのではないでしょうか。やりたくないことはやらない方向で、やりたいこと、出来ることを考えようよ、と。


☆さいごに、非難・批判する方へ。

何度読んでもサッパリ理解できない、このあっちゃん氏連載記事への批判ですが、きっとそういう方は今わたしのこの記事を読んでも、「サッパリわかんない」って言われそうな気がします。が、なるべくわかりやすく書いたつもりですが、如何でしょうか。

 

これは独断と偏見ですが、非難する人の中には、ご自分のお父さんとお母さんを投影してムカついている人が多いのかな?と思いました。なんか、妻さんのこととか、子どもさんのこととか、心配している人が多いから・・・どうでしょう。

だいじょぶですよ~。福田さんが受け取れる器があるから、中田あっちゃん氏がデキる夫でいられるのですから☆ これ、逆に言うと、夫の愛を受け取れない、もしくは、「行動=愛」という翻訳能力を持たない妻は、デキる夫は望めないということになります。

 


 大前提として、「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」と位置付けるんです。世間一般の良い親であろうとする「良い夫フィルター」を外し、妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい。全部クリアに、フラットにして考えました

とくにココについて、「親としてどうなの」と言われている方がいらっしゃるようですが、親である前に人間ですからね。この言葉は、妻を母である前に、人として尊重する夫の愛が込められているんですよ・・・うう。

 

まあ、芸能界の方ですから、どこまでホントかわかりませんけどもね。直接インタビューとかしてみたいな~。フキゲン妻研究家としては。うふふ。

 



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 mica

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馬鹿親に物申す記事をシェアしない方が良い理由☆

騒動から時間が経ってしまいましたが、今回はコレについて考えてみました。

 

grapee.jp

fundo.jp

corobuzz.com



何個もリンクを貼るのは、消えちゃう場合があるからです。
どれも大体同じ反応ですので、ひとつみれば充分かと思います。

■ 主な反応は親への非難

この写真に対する、SNS上のシェアに載せられている意見は、次のようなものです。

「最近の親は子どもが悪いことをしても放置しがち」
「注意しても「チッ」と舌打ちをされて受け入れられない」
「親は子どもに全責任を負うべき」

 

などの、親へ厳しい視線を向ける意見がほとんどを占めています。

 

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■ 改めて、貼り紙の全文を検証してみる

この張り紙の反響の元には、「親が非常識すぎる」という大前提があります。が、この大前提に疑問を感じるのは筆者だけでしょうか?

 

ではでは具体的に検証したいと思います☆

 

★メインエピソードの信憑性が低い

この貼り紙は店主によるものですが、書いてあるエピソードは店主が実際に目撃したことではなく、伝聞によるものです。

したがって、

“子どもが商品を勝手に開けて触っていた。それを親はまじまじと見ていたにも関わらず放置し、なおかつその商品を買い取らなかった”

 という、インターネット上に増殖している解釈、つまり“非常識な親子”が本当に実在したかどうかは、誰にも分かりません。

 

f:id:micasmile:20170810170344j:image

 親は子どもの間違った行為を、単純に気付いていなかったかもしれないのです。「それが間違いだ」と言う人もいるでしょう。

でも、間違いの無い完璧な人なんて存在するのでしょうか?そしてそう言うあなたは、全く間違えることの無い、完璧な人なのでしょうか?

本当にそんな強い語気で人を非難出来るのかどうか、ご自身を振り返ってみることをオススメしたいです。 

★ “告げ口”は大人の行為として適切かどうか

貼り紙によると目撃者は“ふたを開けて三色だんごを触る”という、社会的に適切でない行為を見たらしい。

そして、直接その場で子どもか、もしくは親、もしくは店員・店主に指摘することをせず、あえて後から店主に伝えることを選択しました。

果たしてその行為自体が適切だったのでしょうか?


もしその子どものため、親のため、店のためを考えるなら、迷わずその場でその時に、「それは商品だから開けてはいけないし、お金を払っていないから触ってはいけない」と、誰かに伝えることが一番よかったはずです。


後から告げ口することで得るものは、ハッキリ言ってただひとつ、店主の怒りのみです。

 

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★ “告げ口”を鵜呑みにした店主の物言いに、無礼は無かったかどうか

また、店主はその告げ口をうのみにしました。

当事者に伝えることが出来ずに貼り紙を作ったくらいですから、本人には確かめていないということでしょう。

“告げ口を信じる”という、熟考したとは思えない行為はさることながら、その物言いについてはどうでしょうか。


「将来が心配です」というのは店主の主観であり、全く余計で、かつ失礼な一文だと筆者は思います。

店主として、「お団子を開封して触らないで欲しい、子連れの方は気をつけて欲しい」という、事実に即したお願いを言うに留めれば、多くの親が素直に受け入れたことでしょう。

が、この一文には、店主の怒りが込められています。うのみにして、状況を知らないのにも関わらず、怒ってしまったという軽卒さを露呈しています。

 

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例えば温泉で刺青をしている客に「刺青をしている方はご利用をご遠慮下さい」とは書いても、「刺青を入れる方の将来が心配です。」とは、まず書くことはありません。

誰も刺青をしている人を怒らせたくはないでしょうからね。


ですから「将来が心配」という一文は、“正しければ何を言ってもいいわけでは無いですよね”という、大人として当然持つべき礼儀を欠いた文言です。

単に誰かを怒らせることを目的としています。
実際インターネット上では、幻の非常識な親子を吊るし上げ、大盛り上がりに盛り上がりました。

 

■ 記事の意図と、社会へ与える悪影響について

以上のことを踏まえると、この記事は社会に対して悪影響しか与えないことが分かります。次に、いくつかの立場における悪影響を見てみます。

 

1 店主
店主はこのような短気を起こして貼り紙をすることで、“子どもがカンタンに商品を触れるようなつくりの店”という印象を新規の客に与えてしまいます。子どもの将来よりも、このお店のこれからの経営が心配です。早く取り下げた方が得策と思います。


2 子どもを持つ親

無責任な外野は、不特定多数の“非常識な親子”をやいのやいのと非難していますが、この効果は絶大です。

この、インターネット上のつるし上げを見た親は、「ああはなるまい」「後ろ指を指されないようにしないと」というストレスを、無意識下で受けています。

ただでさえストレスフルな育児環境にある親たちを、窮地へ追い込むような効果です。


ストレスを感じる親たちは、失敗する親に対して、無意識に冷たい視線を注いでいます。実際この騒動に対する親の反応は、「自分だったらこうする」「同じ親として恥ずかしい」といったものが主でした。


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3 子どもの育ち、ひいては日本社会そのもの

失敗を恐れる親は、子どもの失敗に先立ち、いわゆる“転ばぬ先の杖”を用意することに余念がなくなります。

失敗を防ぐということは、経験を奪うことと同義です


経験を奪われることによって失われる子どもの育ちには、誰も責任を取りません。

実際に今の日本は、親を含め、社会全体が、責任回避に余念がありませんよね。

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■次世代のためにシェアしないススメと、もしかしたらの未来。

以上のことから、このような“非常識な馬鹿親を叩きたい”という意図を持つシェアは、拡散しないことを強くオススメします。

自分達、ひいては次世代の育児環境を苦しくする、言ってみれば自分達の首をしめるような行為です。


子どもという未熟な存在に対して、社会は寛容であるべきです。間違うことは大人以上にある。それは健全で真っ当で、本来は大人が守るべきことです。

と同時に親も、素直に他者からの意見を聞く必要があります。もし間違ってしまったら、素直に認めることも大切です。

その際、何かお互いに物申したいことがあれば、客観的事実に即したことを伝え、感情的主観を挟まないのがトラブルを避けるコツでしょう。

それは対親子のみならず、人と人としてのマナーではないでしょうか。

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■ 唯一トクをした存在?

 

さて、最後に”実はこの騒動で唯一“トク”をした存在がある”という仮定をしてみます。それはだんごを触った子どもです。この子どもの当時の状況を想像してみました!


・・・彼(もしくは彼女)は、その美しいお団子のビジュアルに、どうにもこうにも触りたくてしょうがなくなってしまった。

つばが口の中にこんこんと湧き、胸は早鐘のように打ち続けた。

「触りたい」彼の頭にはその言葉が大きなスペースを占め、その目的のために残りわずかな思考を巡らせ続けた。


ちらりと横目で見上げると、母親は親戚宅へのお持たせを熱心に選んでいる。こちらには何も気を留めていない。

母親の目を盗み、彼はだんごのパッケージをそっとこじ開け、そのつるりとした表面に、そっと指で触れてみた。

なんと甘美な感触。弾力。艶。湿り気。そして美しい色。彼の心はだんごに夢中になった。

家に帰って、何度もあのだんごを再現すべく、米粉を練り続ける日々が続いた。母親に何度も米粉をねだった。時には誕生日プレゼントに米粉10袋を買ってもらったこともあった。

後世、日本を代表する団子屋を創業することになる、N氏の思い出話である。

・・・

なんてね★

どんな経験も失敗ではない、間違いではない

というもっともらしい文言を、そこらじゅうで見聞きします。が、それは本当に心の底から発しているものなのでしょうか。

このような騒動がインターネット上で巻き起こる社会を作った一員として、私たちは自身を今一度振り返る必要があるのかもしれません。

 

これを読んだ方が、馬鹿親シェアが次に出回ったとき、シェアを思い留まるきっかけになれば幸いです★
 

 

 

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小学生の詩を可哀想がるのは、親離れ出来てない人達です。

 ちょうど一年前の2016年7月にSNS上で話題になった小学生の詩をご存知でしょうか。その反響をつらつらと眺めた後で私が抱いた感想は、「日本人は、親離れしてないひとがずいぶん多いんだなあ」というものでした。

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まずは、その詩そのものを以下にご紹介します。

「ほめて ほしかった」 

きょうは あさ はやくから

べんきょうを した。

みんな やった。

これは きっと ほめられると

おもった。

どんなに ほめられるのかなあと

おもった。

ほめられたら いいのになあと

おもった。

にこにこして、おかあさんに

見せたら

おかあさんは、ほめてくれなかった。

「土よう日の ぶんも しなさい。」

と はんたいに おこった

わたしは なきました。

 引用元:

kawashin.info

 

この詩は、高知新聞に掲載されたものだそうですね。

これがSNS上を駆け巡ったときにくっついていたコメントは、具体的には、こんな感じです。3つのタイプに分けることが出来ました。

★“母としての罪悪感に涙しちゃった”系。

「何だかすごく胸がしめつけられた…。  同じ一年生の子供がいるから、 私も気を付けてもっと褒めてあげよう。」

「子供ってママやパパに褒められたくて親のことすごい見てる。 いっぱいすごいね、えらいねって抱き締めてあげよう。  今日も怒ってばかりだったな未熟な母親でごめんね」

 

★“ひどい母親だな褒めてあげろよ”系。

hiro_pismo @hiropismo

返信先: @rimpackingさん

目一杯褒めた時の嬉しさに満ち満ちた表情、お母さんは見たくなかったのかなぁ。仕事柄中学高校生と接してる日常にあって、自分なんかはそんな生き生きとした喜びに満ち満ちた表情や言葉が生きがいの大黒柱になってるというのに。かわいそうだなぁ。

 

 

★“子どもをかわいそうがる”系

読んでて、私も泣きました。

がんばったことを ほめてほしかったよね。

お母さんが 喜んでくれたら、うれしかったのにね、

悲しかったね、でも、よくがんばったよ、

心の中で 女の子にエールを送りました。

そして、ひょっとしたら 娘に似たようなことをしたかもしれない

…という罪悪感も わいてきました。

 

 

 

これは“罪悪感・涙”系とのコンボですネ。

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これらの意見は概して“子ども目線”であり、かつ、この状況を「どちらかというと、よろしくない」とジャッジしています。

私も人の親ですから、もちろんそれらの感じ方は理解できます。

しかしながら、フェアじゃないなーとも思いました。だって“お母さん目線”は探しても見つかりませんでしたから。全然「様々な意見」なんか無いじゃないか、と。

フラットな視点に立てている人は、少なくとも発言している中では、皆無でした。

 

■ フラットな視点に立つと、こう見える。

詩という文学を鑑賞するときは、言葉そのものはもちろん、言葉の裏にある物語や空気に思いを寄せて楽しみます。ですよね。

この詩における子どもの気持ちにつきましては、皆さん想像逞しくされているようです。ですから私はここで孤軍奮闘、お母さんの立場に立ってみようと思います。


お母さんはどうして褒めなかったのかな?と勝手に想像して、返歌にしてみました。

ではどうぞ!

  

「ほめて あげたかった」

昨日、土曜日は あさ はやくから

べんきょうを すると、あなたは言った。

でも、全然やらなかった

やらないで、新しく買ってもらった、マンガを読んでいた。

ちなみにそれは しゅくだいを やるからと
あなたが言ったから
がんばってね、と買ってあげたマンガ。

いつ やるのかなあと おもった。

宿題やったら いいのになあと

おもった。

だって あなたは
月曜日から金曜日まで
一つ残らず全部 やっていなかったから。

にちようび。
あなたはにこにこして、おかあさんに

しゅくだいを 見せてくれた


土よう日のぶんだけやっていなかった

 

「土よう日の ぶんも しなさい。」


あなたは ないた

おかあさんも ないた。こころのなかで。

 

ハイ。
いかがでしょうか。

 

私が言いたいのは、こういうことです。


子ども側にも、言われるなりの理由や事情があったのかもしれないし、
方やお母さんは、このときは、ただちょっと疲れ気味だったのかもしれません。

良いも悪いもなく、

お互いにそのときは
その対応しか出来なかった


ということではないでしょうか。
で、それ以上でも、以下でもない、と。

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こういう状況というのは、大抵の親子間にあるものですよねぇ。(うちはナイ、とか、そのやり方は間違っている、コーチングではアドラーではとかいうご意見は、どうぞご自分のブログかなにかで主張なさって下さいネ)

 
実際子どもの学校のクラスランチとかでは、「うちの子はピアノを練習しない」とか「忘れ物が多い」「どうしたらいいんだ」などなどの子どもに対する愚痴が、話題のほとんどを占めます。



■ 我が家もあります。

 ちなみに現在3年生の三女は、シンガポールの現地校と、日本語補習校に通っています。つまり、小学校1年生から3ヶ国語を勉強しています。そして彼女は、いつも山ほどの宿題を抱えています。ですから上の返歌のような状況はハッキリ言って、日常茶飯事です。

 

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というかあの詩は、私の心の詩です。(もう一度スクロールで戻って、しみじみと読んで下さってもかまいません。)

で、そんな生活を三女に強いている私たちいう風に見る方は

1年生にはハードすぎる、かわいそう。
宿題が姉達に比べて多すぎる、かわいそう。
学校の始まる時間が早すぎる、かわいそう。
母国語が中途半端で、かわいそう。



そんな風に、非難したくなるかもしれません。


三女が姉達と違う教育を受けるに当たり、当然そのような言葉は何度も頭をかすめ、思い悩み、考えをめぐらせ、夫と話し合いを重ねました。そうして我が家なりの決断をしました。その理由は一口では当然言える物ではなく、また、他人に言葉を尽くして説明する義務を、これまた当然ながら、私達は持っていません。


何が言いたいかと言うと、

それぞれの家庭の間で、親子の間で、
他人には計り知れない色んな状況があるよネ、

っていうことです。我が家にもあるし、お宅にもあるでそ。

だからすぐそこに見える景色を良いとか悪いとか、カンタンには言えないよね、と言う風に私は思います。
 

そんな風に、中立の立場で見る視点を、フラットな視点と、ここでは呼んでいます。

 

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■ “そうせざるを得なかった、理由があるに違いない”というメガネをかけてみると。

フラットな視点でモノを見るとは、どのような場面に置いても、“その人には、そうせざるを得ない理由があったんだろうな”というメガネをかけて物事を見ることです。


そのメガネを通してこの詩を今一度見てみると、そこには、こんな世界が広がっています。少なくとも私にとっては。

   ↓

お母さんの関心はどのような形であれ、娘ちゃんに向かっている。

娘ちゃんはお母さんが大好き。

 

以上。

 

みたいな世界です。

ね。

ほのぼの。

クラスランチの愚痴だって、ほほえましいですよね。親がいて、子がいて、なんやかんやと言い合っている。なんとも平和ではないですか。我が家だって平和です。平和裏に、マンガをこっそり隠したりしています。そして気付かないのが三女のいいところ・・・?

 

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■ それと、「褒めること」について。

と言いつつも、三女は、自分で計画を立ててやり遂げる日もあるし、そういう日は以前に比べると断然増えてきました。

そうすると、いい気分で遊べた、テストがいい点だったと、何らかの結果として、彼女自身に跳ね返ってきます。それは本人がよく一番分かっていて、嬉しそうに私に報告してきます。私は「そうか、よかったね」とニコニコして聞いて、一緒に喜んでいます。

特には褒めません。

 

そしてある週はまたサボりまくり、結果次の週末は押し黙って宿題の虫になる・・・という繰り返しではありますが。引き目で見て、ずっと前の状態と比較すると、彼女はそれはそれは成長しております。

 

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ですから、やたらめったら褒めりゃあいいというものではないと思うんです。褒めないと動かない子になったら、困るでそ。大体、べんきょうは褒められる為にするものではないですしね。まあ小さい頃は、ひとつのモチベーションではあるけれど。


■ 親離れ出来ていない人たちの、“投影”という、色眼鏡。

上記のようなフラットな視点を持たずに、この詩を「悪いわー」「ひどいわー」「かわいそうだわー」と断じている皆さんは、ハッキリ言って子ども時代の自分を投影しています。

重ね合わせて哀れんでいるのは、実は当時の自分です。“投影”という色眼鏡をかけている状態なんです。

 

だから、言い直すとイイと思いますよ。


自分は、
親から、
もっと
褒めてもらいたかったーーーーーー!



って。

 

この詩を読んで沸き起こってきたその感情は、ご自分がかつて押さえつけ、無理やりどこかに押し込めていたものです。

 

そして押さえつけた感情というのは、虎視眈々と世に出る隙を伺っています。この詩をきっかけにして、閉めていたフタが、開いちゃっただけに過ぎません。

 

そしてそういう感情を一向に開放せず、後生大事に持ち続けているということは、言い換えると、当時の親なり自分なりを過大評価しているということになります。

だって、「あのときの自分と親は、ああしか出来なかったんだ」とは思わず、「いやもっと出来たはず、なんで出来なかったわけ?」って自分と親を責め、期待し続けているわけですから。


お母さん、褒めて欲しかったよ!
お母さん、認めて欲しかったよ!
お母さん、やっぱり私がいけなかったの?!


ってネ。


ソレを世間では、
「親離れ出来ていない状態」と言います。


あ、世間ていうか、私から見ると、ですかね。


でもまあそれも、「そう思わざるを得ない理由がある」のでしょうネ。


***

それと、子どもが「すでに出来ている」ことに関しては、親はあんまり褒めないものです。

どうしてかというと、出来て当たり前だから。たとえば、主婦歴10年超の私が夫から、「わあ、上手に皿を洗うね」なんていわれようものなら、このひと馬鹿にしてんのかなってムッとしちゃいます。

この詩を書いた子も、褒められなかった事実に対して、それは
自分が期待されていたんだ、と解釈出来たらいいですよね。大人になってからでもいいから。というか、自然にそう思うようになるんじゃないかなー。


当時の自分も親も、精一杯やっていたよナア

なーんて、許せるようになったら、
親離れできた、ということかもしれません。

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いずれにせよ
素直な感性が作った詩は、素晴らしいですね!

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自分が信じられない時、心の中で起こっていること。

■ あるお母さんとの会話で気付いたコト。


いつも、四番太が遊ぶ公園で。

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幼稚園に通っているお兄ちゃんと、

ヨチヨチ歩き始めたばかりの妹ちゃんと

いつも一緒にいる、
知り合いのママさんと
ほんの数分、立ち話をしました。

 

ママさん(以下マ)
もー、全然自分の時間が取れなくて



mica )そうですよねえ、今は。当たり前ですよ。

 

マ) パートタイムでもいいから、
メイドさんに来てもらおうかなって考えてるんです



mica ) そうそう、お金で解決できることは、
じゃんじゃんしちゃったほうがいいですよー



マ) ・・・そうなんですけど

でも、
一度楽しちゃったら
ずるずると甘えて、
なんにもやらなくなっちゃうんじゃないか

って
心配なんですよねえ。。



mica )それさ、心の声と思いますよ。
やらなくなくなるんじゃないか、じゃなくて、

 

 

やりたくない。

 

って思ってるんじゃないかなあ。

 

マ) えー!!!

 

mica )元気になったら、自然と動きたくなりますよー。
不登校の子どもみたいに。

放っておいて、休んで、元気になったら、

もうつまんなくてじっとしていられない、みたいな。

だから、そういう言葉が出てくるってことは、

 

今、
もうがんばりすぎて、疲れきってるから、
やりたくないー!
って思ってるんじゃないですかね?

そう言う時は無理せず、
「やらない方向」に段取りしたほうがいいですよー

 

マ) ・・確かにそうです。。こんな短い間に。。


って呟いて、
がーん、みたいな顔されてました。
元気になったらやりたくなる・・・そうか・・・
みたいなことを呟かれて。


その後彼女は、

ヨチヨチ歩きの娘ちゃんを追って


マ)  ありがとうございました!!

 

 

って、去ってゆきました。

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いやー、
まだ、お子さん、1歳だもの。

そりゃ、疲れちゃうよね。自信が無くなるっちゅーものです。

分かり過ぎます。

 

■ 例えば、不登校の場合。


そういえば私も時々
子どもに対して、そんな風に感じる時があります。


たとえば、長女子は不登校経験者です。
約1年ほど、ずっと落ち着かなかった。


そのとき、長いこと私の脳裏にあったのは


一度学校に行かないことを許してしまったら
ずっと行かなくなるのではないか。

  

という論理です。

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子どもが不登校の親御さんは、
よくお分かりになると思います。


心配でしょうがないんです。
不安という化け物にでも
とりつかれているようでした。


でもコレも、
先述の「一度ラクしたら」と同じで


要は、子どもを信じていない。
信じられない。

ひいては

自分が信じられない。
自信が全く無い。

 

という状況にある、ということですネ。

 

 
実際。


当時の私はこんな風に感じていました。



こんな事態に陥る元凶は私で
この子をダメにしているのは私がダメなせいだ。
私がダメなせいで、この子もダメなのだ。


みたいな。


自己否定の豪風雨でした。


で、ということは

もうちょっと詳しく見てみると


当時の私は


自信が無いくらい、
くたびれていて


事態に翻弄されて、
自分の感情にも振り回されて、
どうしたらいいか分からなくなっていて

 

さらに言うと
「ダメダメだわ」と嘆きつつも


まったく、
自分の状態を見ようとしていない




という、面倒くさい状況だったんだな・・・
と思います。

 

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時に。

今のわたしは
四番太が、「幼稚園行きたくない」とかって言っても


「そっか、今日は行きたくない気分なんだ」


って、放置。


大体、1日休んだら


家にずっといることが
つまんな過ぎることを思い出して、

(時々忘れるのが愚かで可愛いですね、5歳児って☆)


次の朝は


幼稚園の準備まで、四番太が全部、一人でしちゃう。
靴はいて、「早く、ママ!」って待ってる。


みたいなパターンは
たまにあります。


でも、自分に余裕が無く
様々な物事に、翻弄されているとき


「行かないと、小学校行けないよ・・・」

とか、

イヤな脅しを言ったりしちゃったり。

姑の手前、叱ってみたり。


とにかく、腹を据えて
落ち着いた対応が取れなくなるのです。


■ とにかく休んだら、次の一手が見えてくる。

だから、

落ち着いた対応が出来ていないなあ、

とか

「今、自分がすべきこと」が分からない・・・!

とか

とにかくダメダメだわ・・・と落ち込むとき

とか

それと、
知り合いのママさんのように

休むことすら、怖く感じる時。

 

子どもを、自分を、信じられなくなっている時。




そういうときは、


とにかく、無理矢理休む。
リフレッシュする。



ことを、強行した方がいいと思います。


そしてそのために、必要な段取りを
家族に周知します。


☆今度の金曜日は飲みにいくから、早く帰って来て欲しい♡

☆マッサージに行きたいから、後はよろしく♡

☆ついでにお金、これくらい必要だから、ちょうだい♡

☆ご飯作っておいてくれないかな♡(子どもにも頼みます)


などなど。
コレは、今現在、「疲れている自分」がとるべき

次の手

DESU。

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これが、見えていたら・・・


長女子が、学校へ行きたくないと、
毎朝叫んでいた、当時


もうちょっと上手い対応が出来ていたのになあ
とも思うけど。



その時のワタシがあって、今があるのです。

 

そして時々見失うのも、いたしかたなし。
人間ですからネ。
(みつをさんか!)

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授乳母とミニスカートを見るエロい目を擁護する国★日本

■公共の場での授乳の是非について、どう考える?

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出典:www.facebook.com

 

大変ご無沙汰しておりましたが、

今回はこの問題について考えてみます。
(当初貼付けていたニュースが消えたので、同じような違う記事を貼付けました。2017-11-19)

josei-bigaku.jp

■ 双方の言い分。

ここには、2つの異なる立場がありますネ。それは

 

1.公共の場で、赤ん坊に授乳する母親

2.それを見て何らかの感情が湧き起こり、やめて欲しいと思う人々


の、2者です。まずは双方の言い分を見ていきましょう。

1.公共の場で授乳する母親の言い分


赤ちゃんが 空腹な時が、授乳どき。
(俳句風)

母親のしたい事はコレだけです。

 

空腹を訴え取り乱す我が子を、すぐにでも安心と平穏で出来た世界に導いてあげたい。
ソレ以外に他意はありません。

ちなみに赤ちゃんを育てた方ならお分かりになるかと思いますが、空腹になった赤ちゃんというのは、個人差はあれど、大騒ぎするのですよ。「大変・・・あたい、死んじゃうわ!!」と言わんばかりの、上へ下への大騒ぎです。私は赤ん坊のそんな様子を見る度に、「これが生きる力だよな」と関心していたものです。

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次女、産まれたばかり。

対して、お腹が満たされた赤ちゃんと言うのは、平和を体現しているような、こちらの心が穏やかになってしまうほどの安らかな表情をみせてくれます。

赤ん坊を持った親は、そんな繰り返しを経験する事で、一刻も早く我が子を満たしてあげたいという思いを、産まれた直後から自然発生的に持つようになります。

そしてそんな母親は、決して周囲に見せつけるために授乳しているわけではありません。それは徹頭徹尾、100%、混じり気無く、赤ん坊の命を育むための、"利他的な行為"です。

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2.公共の場での授乳をやめて欲しいと思う人々、の言い分


ネット上を徘徊して調べてみたところ、色々な意見を見かけました。

中でも一番まとまっているなと思ったのはこの意見です。

「母親であるとか、女を捨ててるとかそういう議論をしている場合ではなくて、私たちは皆が良識的な人間であるべき。

確かにお腹を空かせて泣いている赤ちゃんに困ってその場で洋服ベロンなりケープなりで授乳することは仕方のないこと。けれどそれが公共の場で授乳しても良い!という堂々とした理由にはならないような・・・。

それよりも前もって人目のないところで授乳しておく、授乳室をみかけたらその都度こまめに授乳しておくなど心掛けていればそこまで困ることもないはず。ケープさえつければどこでもいいというのは周囲に配慮がない」

出典サイト:

josei-bigaku.jp



「授乳は自分の前でして欲しくないわぁ」どころか、洋服べろんでも、ケープを使ってでも、いずれにしろ人前での授乳を「すべきでない」という人も現実にいるということです。それは何故かと言うと


自分たちの目のやり場に困る



かららしい。公俗良序違反だとでも言っているようです・・・っていうか、そうですよね?だからなんだかモゴモゴと濁らせていますが、彼らにとってはハッキリ言うと


授乳=わいせつな行為



ということになります。

わいせつ いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの(判例)大谷510

参照:定義集 刑法4

 


どんなに良識だとか、配慮だとか、いい人そうな顔でもっともらしく言ったところで、要はこういうことを言っているのです。さらにもうちょっと詳しく言うと

 

空腹の赤ん坊に公共の場で授乳する行為は、
露出狂や、チカンと同じ。


と言っている、ということになります。

 



「それ、気分悪くなるし、見たくないから、引っ込んでやって」

 

と言っている。しかもこれがまた卑怯だなーと思うのですけども、

「見たくない人がいるのだから、引っ込んでやるべきでしょ?」

と、他人主体な言い方をするのが常です。そう言う事言う人は、大体「自分はイヤだ」という主体的な言い方をしません。何故かはもうお分かりになるかと思います。


はて、コレはなんだかどこかで聞いた事がある論理だな?と思い、考えを巡らせてみました。

そうです。これは 

 

■ チカンされた女子に「そんな格好してるから」と責める言い分にそっくり。

なのですね。

誰がどう考えても、公共の場でチカン行為をする側の方に問題があり、そちらの良識を先に疑うべきだろう


と常識的な大人は考えて欲しいものです。だってチカンは犯罪なのですからね。「そんな格好をする方が(略)」という言い方をする人は、「チカンする権利を擁護している」、そして「チカンに加担している」ということに気付いてくださいネ。

 
チカンから授乳の問題にハナシを戻す前に、一つ、ここでチカンと授乳問題の共通点を挙げておきます。そこにあるのは、



良識とか常識とかを振りかざして、
黙らそうという空気



です。

■ どっちが引っ込むべきかは、火を見るより明らかでは。

 

授乳の話に戻しまして・・・


ここでハッキリと私の主観を主張しますが、

これって、どっちかというと


赤ん坊への授乳をわいせつって思う人の方が、

黙ったら?って思いません???

 

見たくなかったら、目をそらしてそそくさと通り過ぎたら?って。


オマエは一体どうやって大きくなったと思っているのだ。

全く持ってけしからん。そっちが引っ込めば?というハナシですよ。

 

とってもシンプルです。


そう言う方々はね、潔く

「オレ、大きな声では言えないけど、授乳している女に興奮するんだよ」

て、小声でこそこそと言っててくださいよ。小声で言う分には、個人の自由ですから。日陰の中で、小声で言って然るべき、恥ずかしい感覚だしね、それ。

 


でも赤ん坊の大らかな食欲に母親が応える権利は、ひっそりと引っ込めるわけにはいかないのです。そして太陽の下に堂々と享受する権利がある、そういう類いのものです。


■ 一方。世界の状況は、というと。

www.huffingtonpost.com


上記のリンクには、"公共の場での授乳の権利を保護する"法律が施行されたアメリカの州を分かりやすく示した図があります。英語だけど図は分かりやすいので、是非とも見てみてくださいね。
 

コレを見るに、"公共の場で授乳する母の権利"を保護する法律が施行されていない州は、たったの3州である事が分かります。

さらにブラジルでも

www.theguardian.com

 

 美術館の監視員に授乳行為を咎められた母親の訴えが元で、ソレに対して「リオのカーニバルは何にも言われないのに、なんで授乳がわいせつなのよ!!」と怒った母親達による、なんと授乳しながらのデモが起こりました。



元モーニング娘。の辻希美さんが、「歩きながら授乳してる」と発言したことがかつて賛否両論を巻き起こしましたが、そんな問題が小さくかすんでしまうほどの豪快さです。想像するだけで心楽しく、愉快な気持ちになるデモですねえ。その後ブラジルでは、「公共の場での授乳を邪魔したものに罰金を課す」法律が出来たそうです。


参考:

news.livedoor.com

  

脱線しましたが、他にも"公共場所での授乳の権利を守る法が整備されている”国は、アメリカ、ブラジルの他、台湾、オーストラリア、フィリピン、イギリスなどがあります。先述の私の主張マエら、どうやって大きくなったと思ってるわけ?」「そっちが黙りなさいよ」という逞しき母の声が勝ち取った権利と言えるでしょう。

参照:

Breastfeeding in public - Wikipedia

 

と同時に、このような法律が整備されていると言う事は、授乳シーンを見て性的に興奮するけしからん輩が「人前で授乳してオレを興奮させるなんてけしからん」だとかなんとか、そのような恥ずかしい事を堂々と大声で発言して、そして逞しい母達に一喝された国、ということになりますね。

日本も恥ずかしい事に、このリストに連なる可能性が高いです。仕方ないですね。

 

■ 特に女性は自分の首を締めないようにしてくださいね。

まず私の個人的な意見としては、

「こういう論争が巻き起こる事自体が世も末」と思っております。少子化となって然るべきです。というか、改善する気が全く無いのが明らかです。

そして最も嘆かわしいことだと感じているのは、女性の中にも「公共の場では、授乳を慎むべき」という意見に加担している方がいる、という事実です。子どもに縁のない若い人ならまだしも、もう子どもをある程度の年数育てた方までそう言っているのを聞いて、これは異常な事だと感じました。だってね、それって

自分たちの授乳姿を「わいせつ」と公言し、ソレ自体を恥ずべきと思っている、ということですよ?気付いていない人が多いと思いますが、

それって

私たちの子ども達に恨まれても仕方ない、自分たち人間の首を絞めるような行為 です。



少なくとも母同士は足を引っ張り合わないようにしませんかね。デモは別に起こさなくてもいいとしても( 個人的にあまり趣味じゃないので・・・いや、お好きな方はどうぞ、ぜひ。)、授乳がわいせつなんて、あんたバカ?」と笑い飛ばすくらいには逞しくなりましょうよ。

もし若い男性が「目のやり場に困るんだよね」なんて呟こうものなら、「だったらオマエがとっとと退場しろ」と叱りとばしてください。もしくは、「まあ、ウブねえ♡」って微笑んで一蹴してください。

何と言っても、女性は母になる性なのですから。


もちろん、男性にしても同じではありますがね。父になる性だからね・・・。まあ父親になった男性は、こんなおバカな事は言わないだろう、と信じたいところです。

 
この議論は、次に「子どもを産むべきではない」という恐ろしいものに発展しうる、と思うのは考え過ぎでしょうか。「腹のでかい妊娠姿が気持ち悪いから見せるな」とかね。

■ 赤ちゃんにとって、授乳は食事ですよ

今でも忘れられない光景を、ここで皆さんにシェアしたいと思います。中学校時代、自分のお弁当を蓋でひたすら隠しながら、終始下を向いて食べる友人がいました。理由を聞ける雰囲気ではありませんでした。でも、何か悲しい、イヤな事があってそうなったことは周りの皆が知っています。彼女の頑な、そして物悲しい食べ方は今でも忘れられません。でも私たちは彼女を尊重して、その食べ方に深く触れず、受け入れていました。

その思い出を、私は以下の写真を見て思い出しました。この写真を見て、皆さんはどんな風に感じますでしょうか。

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出典:

Behance

 

 

授乳は、赤ちゃんにとって食事なのです。



我が家の子ども達は大丈夫でしたが、ケープで覆われる事を嫌がる赤ちゃんは少なくありません。それは考えてみれば、当然のことではないでしょうか?自分の食事に布をかけて食べたい人はどれだけいるでしょう。トイレで授乳しろと言われて、粛々と引っ込むお母さんの気持ちを考えると、私は胸が締め付けられるような思いがします。


本当は誰もが、明るい太陽の下でおいしい食事を食べたい、そう思っているはずです。そしてそれは誰もが持っている権利ですよね。

 

同じ人間同士、思いやりを持って生きて行きたいものです。


「授乳がわいせつとは思わないけど、別の〜〜と言う理由で自分は授乳シーンを見るのがイヤだ」という方は、是非ご意見を伺いたいと思っております★

mica

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”他人に対して物申したいとき”の作法って?

お題「これって私だけ?」

■ 最近、一時帰国していました。

シンガポールから日本へ一時帰国していました。理由は結婚式に参列するためと、七五三のお祝いです。

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結婚式!

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七五三!


東京滞在の前には長野によって、自然と温泉を堪能し
東京では家族イベントの他に、築地市場でお寿司を食べたり、奇跡的に滞在中・しかも予定の無い夜にチケットを取ってもらえた、オザケンライブを堪能したり!

とーーーっても楽しく過ごしたのでした☆


■ 色々あったけど、怒られた事について。

今回の日本旅行は、色々ありましたが。
中でも特筆すべきは、他人のヒトに怒られた事。

二度ほど・・・。

発端はすべて、このひと。

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我が家の四歳児、四番太。空気は読むけど、怒りんぼ。そしておしゃべりな男。



■ 怒られたことその1・電車の中で

ヒトに怒られた事・1回目は、電車の中でのこと。
ラッシュになる時間ではなく、夕方前の時間で、電車の中はパラパラとまばらに人が座っていました。

声の大きい人、四番太。公共の乗り物経験値はほぼゼロです。なにせシンガポールはタクシーが安い。それに、バスや地下鉄の半分の時間で目的地へ着いてしまうので、子連れはタクシーにすぐ乗ってしまいます。

私「今のっ。今の声・・・ボリューム10だったよ。2くらいの声で話して?ね?」

四番太「わかった!・・・これくらいでしょ?(小さくなっている)」

10段階で痛さはどれくらい?って病院で聞かれた事ありますか?「大体これくらいかな・・・」と自信が無いながらも答えてしまうこの方法、実は子どもにも分かりやすいのです。実際、発達障害の子に伝えるときにも用いる方法なのですって。

で、四番太も、「しずかに!」「うるさい!」って叱るよりは、こうやって言う方が、ちゃんと声をひそめられるのです。


しかし、すぐ忘れるのが子どもです・・・。


上記の会話を何度も繰り替えしながら、四番太は楽しくおしゃべり。あのひとは、本当におしゃべりな男なんです。気付くと向かいに座っているおばあちゃんが、ニコニコしてこちらを見ています。笑顔を向けられるだけで、母親というのはほっとするものだなあ、と思いつつ、私は実際、「すいてるから、まあいいか」と油断していました。

さて、比較的降りる人が多い駅に着いた時、突然もう一人のおばあちゃんが ”ずずい”と近づき、顔をぬっと近づけて

「君たち!電車の中では、もう少し静かにしなきゃだめよ?具合の悪い人だっているかもしれないんだからね!!」

と、語気荒く伝え、身を翻して電車を降りて行かれたのです。

 

私たちといえば、唖然・・・とした後、身を縮こませ、私の「・・・す、すみませんでした・・・」という声も空しく宙に消えて行きました。

その後、不憫に思ったのか、向いでニコニコこちらを見ていたおばあちゃんが、

「・・・おもしろかったわよっ☆」

 

と言い残して、やはり電車を降りて行かれました。ありがたいことです・・・。



■ 他人のヒトに怒られるのは、ありがたい。

なんというか、後味爽やかな電車の旅でありました。え?怒られたのに?はい、私、けっこう素直なんですよ。そして、あんまり「転ばぬ先の杖」とかは用意しないのです。だから誰かが私の行為に不快な思いをしたら教えてほしい。全力で謝ります。誰かを傷つけたり、不快にさせる気なんて、毛頭無いのですから。

そして子育ても自分ひとりで出来るとは思っていません。こういうのは子どもの成長のチャンスです。「子どもが自分にとって不愉快な行動をしたら、誰しもがそれを伝える権利がある」というのは私の持論。だから私もヒトの子に足を踏まれたりしたら、そしてそれが思いがけなく致命的に痛かったとしたら、「ちょっと、今の痛かったよ!」とかって怒りますよ。そして逆に自分の子が怒られたら、子と一緒になって「すみませんでした・・・」と謝ります。

少し前にもそういうことがありました・・・(遠い目) ママ友に平謝りしたなあ・・・。そういうときはケンカしません。素直に謝ります。
それに関してはまだおそらく時効ではないので、いずれ、いつか、記事にしたいと思います。

 
とにかく、件のおばあちゃんの伝え方は、とても潔くさっぱりと伝えてもらい、ありがたいことこの上無しと言う感じだったのです。そのおかげで私は四番太と、「あのね、同じ声の大きさで話していても、”うるさいなあ”って思うヒトと、何とも思わないヒトがいるんだよね」っていう話が出来るのです。「だから、なるべく沢山のヒトがいる場所では、小さい声で話したほうが、いいよね」って。

大事な事ですよねえ。あのときのおばあちゃん、ありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。


■ 怒られた事・その2・・・返りの飛行機で。

最初に言い訳しますが、私ね、ちょっと疲れてたんだと思います。ひとりで4歳と7歳の2人を連れて帰っていたのです。

そして普段はこども達が食事中に肘をつくだけで、左手をお皿に添えていないだけで、それはそれはうるさいんです。うるさすぎってくらいうるさいんですよ。中1の長女子に「うるさっ」って呟かれるくらい・・・(以下略)

それは置いておいて。

一方で私は、飛行機というのは、個人的に全く理不尽な空間だと思っています。人権を無視している。目の前にモニターを突き出されて、囚人のようだし。飛行機は大嫌いです。ファーストクラスでやっと人並みだと思う。大人にとっても、子どもにとってもです。

これはあくまで個人的な意見です。だから、ぜいたくだ、とか、じゃあ乗るな、とか、やめてくださいね。人それぞれ考えは違うものなんですから。乗らなくて済むなら、私だってあんなもの乗りたくありません。


だから、四番太が居心地のいい体勢を探して、ごにょごにょとうごめいていたのを、私はぼんやりと見ていました。「身体が辛いんだなあ」と。彼がおもむろに前の座席の背中についているテーブルを降ろして、足を乗っけようとするのも、ついうっかり、「足を伸ばしたいんだなあ・・・」と思って見守ってしまいました。

そのときです。

「ちょっと!なにやってるわけ?!」という声が斜め後ろから聞こえました。

ハッとしました。

しかし。

怒られている内容には納得しつつも、その人の言い方には納得出来ない自分がいたのです。

「何やってんの?」「信じられない」「ちゃんと教育しなよ」「ふつうはそんなこと、子どもにさせないよ?」

それらの言葉を聞いて、私の中には反発する気持ちが芽生えました。
もちろん、四番太を注意しなかった私に非がある事は分かっています。
それでも、素直に聞けなかった。それは正直な気持ちです。

(だから、やめてくださいね。「そんなことを思うべきではない」とか言ってくるの。思っちゃったのはしょうがないんですから。・・・言ってきてもいいけど、いつも通り即☆削除となります。あしからず・・・)

もしその人が、きっぱりと「それはやめたほうがいいと、自分は思う!」っていう風に私と四番太に伝えたとしたら。きっと私は先述の電車の中のように、素直に「はい、そうですね。。うっかりしてました!」って素直に非を認められたと思います。絶対に。

結局のところ、私はその人に謝罪しました。謝罪を要求するような言い方だったからです。


■ 「あなたのため」とか「普通は〜」とかっていうのは、作法に反してると思う。

「それは違う」ってスパっと言われるときは素直に聞ける。それは仕事でもそうです。

私はフルタイムでも仕事をしていますが、相当なうっかり屋です。よく細かい間違いをします。そのたびに、別のオフィスからメールで「みかさん、ここ、違うよ」とかって教えてもらいます。「うわー、ほんとだ。すみません!ありがとうございまーす!」って直します。(指摘するヒトのポジションで言い方は変わります) 以上でおわりです。

ちなみにですが、重大なミスとかは出来ないポジションにいるので、私がどれだけ間違おうと、あまり大きな影響はありません。でも日々進歩しているとは思います。(たぶん)

でも一度、こういう注意を受けた事がありました。「いつも完璧な仕事をしているかっこいいみかさんでいてほしいから、ここは直した方がいいですよ」

これもね、私は胸の中が“もやっ”としたのですね。そしてやはり、素直に聞けませんでした。でも好意で言ってくれたのが分かっているので、後で「ありがとうございまーす」って言っておきましたけどね。

「ここ、間違ってるよ」「それは私は違うと思うよ」だけでいいと思うんです。大事なのは主体が自分にあること。「誰かのため」とか「あなたのため」とかっていうのは、詭弁だし、茶番だし、偽善だと思います。


■ 匿名性が個人を狂わせるんだと思うなあ。

私に下らないコメントを残すヒトも(即削除してますけど)、多分実際会ったら、普通の人達だと思います。むしろいい人なのかもしれません。

でも、匿名となると、平気でエラそうで失礼なことを言うようになってしまう。品性を欠いたことを発言するヒトは、絶対に匿名です。

母性神話を振りかざすのも、決まって匿名の人たちです。でもその匿名で品無く物申したい、ヒトを見下したい、謝罪させてやりたい、そういう深層心理が、もしかしたら私たちみんなにあるのかもしれない。だから、日本で子どもを育てるのは息苦しく感じるのかもしれない。自分が自分を責めているからです。雑誌一つ買えなかった、私の母のように。


そうならないために一番大事な事は、やぱり自分に優しくする事ですよね。自分を大切にする事。自分を尊重する事。ガマンしない事。自分を大切にした上で、現実とうまく折り合いをつけること。


ヒトに文句を言いたい、不満をぶつけたい、ってもし感じた方は、それが出来ていない可能性があると思います。


長文、お読み頂き、ありがとうございました♡

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「公園デビュー」が死語にならない理由。「こんな私だと思われたくない」のが原動力なのって、辛くないですか?

■ 突然ですが、

私はママ向けのアドバイザーの資格を持っているのですけども、ママに留まらず、全く異ジャンルの方から相談を受ける事がたまにあります。中でも、不倫の相談を受けたときは心底仰天しました・・・。自慢じゃないけど経験ありませんからね。しかし私なりにあれこれと考えた事を言っても、恋は盲目とよく言ったものです。真っ最中の方々というのは、聞く耳ゼロであるという事実を、そこから私は学びました。

■ とある相談を受けて考えた事

まあそれはいいとして、相談して頂いた方の中に「宮うちさんのように冷静になるにはどうすればいいのか」とおっしゃる方がいまして、私は自分が冷静だとは露程も思えないのでこれまた仰天して話を聞いてみると、どうやら“感情的になると突っ走って体当たりして玉砕して自分も周りも傷つける”というような行動パターンをお持ちのようでした。

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ちなみに、我が家の突っ走る人。



で、何度もしてるけどもうこういうのはやめたいというのが相談の主旨でしたが、どうもその方がとる行動のモチベーションというのが、「こういう自分はイヤだ、そういう人だと他人から思われたくない」という、ネガティブなものだったのです。

■ ネガティブな動機って??

「現実をこういう風にしたい、だから」という動機がポジティブなのに対して、「これが嫌だから、だから」という動機がネガティブと表現しています。

ネガティブでもポジティブでも、アクティブならいいんじゃないの?と言われるかと推測します。はい、その通りですよね。良いも悪いもない、それはただの結果ですから。


ちなみにご相談された方は素敵な男性で、確固たるポジションをお持ちですし、プライベートも充実して幸せそのもの。ですから私ごときが「いや、それは、やはり」なんて物申す権利もその気もさらさらありませんし、私が逆に教えてもらいたいことだらけだったのですよ。

しかしながら、彼の相談をきっかけに、「ネガティブな動機」なるキーワードが私の心の片隅に住み着いてしまったのです。

 

その理由はというと、「・・・うーん。。よく分からないな」という状態のまま、ある日「公園デビュー」に関する記事を依頼されました。

itmama.jp

(あの、最初にお断りしますが、ゴマキは本文の内容に、ぜんぜん関係ありません。ちなみにタイトルも、ライターの手からはかけ離れたところにあります)

■ 「公園デビュー」が死語にならない理由


「公園デビュー」って、未だに使われるんだなあ、ふうん。と何気無しに調べてみると、なんとこれは90年代の頃、バブル臭漂うあの時代に産まれた言葉なのでした。

公園デビュー - Wikipedia


団地妻とか、ジュリアナとか、そういうのとセットっていうことですよね。古いなー。もう、風化してもいいもんなのにな、と思います。「それ、死語ー。年がばれる!」って生意気な女子高生に腹抱えてアハハと笑われるようなレベルですよ、本当だったら。

でも何故こういう言葉を好んでメディアが使いたがるのかと言うと、やはりそこには意図があると思います。

・恐れを喚起する言葉としての「公園デビュー」

「公園デビュー」なる言葉の裏にあるのは、「自信の無さ」とか「恐れ」とかです。そういうニュアンスで登場することがほとんどですよね、この言葉って。「ママ達の輪の中に入れるか」「うちの子はうまくやれるか」みたいな、怖い感じ。まるで公園には、遊んでいる子どもとセットで「排他的で威圧的な恐ろしいママ達の派閥がある」ような錯覚に陥ります。

・恐れは人の目を集める

「自己責任」にも似た匂いがありますが、人の恐れを喚起する言葉は人々がとっても気になるのです。何故かと言うと、ほとんどの人は自信がないからですよね、きっと。メディアなんかにそんな小うるさく言われなくても、多くの人は「こんな私でいいんでしょうか」って周りをおそるおそる伺っています。そしてさらに、日本の都市部で子育てするママに当てはめると、この“自信の無い人率”はすごく上がると思います。

多くの人の注目を集めたいメディアにとって、恐れを喚起する言葉というのは、渡りに船、濡れ手に粟、・・・あと何かありますか。とにかく便利な言葉なんですね。

私も曲がりなりにもライターとしてお金をもらっているのだから、気をつけないといけません。何より自分がいやですよね、既に自信喪失気味のママを脅すなんて。全く本意ではありませんよ。だからこの記事は、「楽しむために」というポジティブな方向性を意識して書きました。

■ で、ネガティブな動機。
自慢じゃないですけど私はかつて自意識の塊みたいなママでした。例えばの話をすると、全然完璧になんて出来ないくせに、人が来るときは部屋はキレイにしないと嫌でした。“いつも綺麗にしているママと見られていたい”っていう自意識、エゴです。部屋を綺麗にする行為は、当時の私にとってはまず間違いなく“ネガティブな動機”に基づいていました。

・自意識が崩壊する瞬間をご紹介。
この自意識がガラガラと崩れる瞬間を私は経験したことがあります。それは三女が産まれて半年位たった頃、長女と次女の幼稚園での、お泊まり会の日のことでした。

長女は年長さんの仕事があるとかで先に行き、さて昼過ぎに次女を連れて行こうとすると、「いやだ、行きたくない」と。理由をきいたり、なだめたり、すかしたり、怒ったり、あらゆるアクションを起すもガンとして次女には通じません。

・・・思えば次女という人の“自分の感覚への忠実さ”は、小さい頃から今までずっと変らないのですね。。今でもごくたまにですが、特に理由無く「今日は休む。誰が何と言おうと」と休んだりします。

 

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突っ走る次女。

 

・ママ友、土足で上がり込む!!
わさわさと動く赤ちゃんの三女を傍らに置いて途方に暮れていたところ、玄関のインターホンが鳴りました。鳴らしたのは次女の一番の仲良し・Mちゃんのママ。私に代わって次女を幼稚園へ連れて行ってくれるために来てくれたのです。しかし次女は玄関に出てきません。するとMちゃんママは、靴を脱いでずかずかと上がりこんできたのです。全く他人仕様ではない、用意の出来てない、端的に言うととっ散らかった汚い部屋に!!私は凍りつきました。

Mちゃんママは鮮やかに次女を説得し、次女を連れて玄関から風のように去っていきました。私はまるでそのとき、Mちゃんママが土足でこの部屋に上がってきたかのような錯覚を憶えました。それくらい、衝撃的なことだったのです。“汚い自分の家に他人が上がる”ということが。

・「ガラガラ」という音を聞く(ウソです)
と同時に、感謝の念と涙が溢れました。全く見返りを期待しない純粋な愛を、その時の私は確かにMちゃんママから受け取りました。裸でむきだしの私だったからこそ、それが受け止められたのです。偽って、飾った自分では、理解出来なかったと思います。

次女が、三女が産まれてからよくやってきたこと、それでも忙しすぎる私を見て不安に思っていた事、その事実を一人ではどうしようも出来なくて、困り果てていた事を、その時はっきり自覚しました。

私は、誰かに助けてもらいたかったんだ、ということを。

そして、私の自意識が「ガラガラ」と音を立てて崩れ去ったのです。

■ ネガティブな動機の裏に、自意識あり。

ネガティブな動機っていうのは、ある側面においてはいいと思いますよ。例えば仕事の場面とか。上司とかお客さんの信用を勝ち取るためには、これはおそらく無視出来ないものです。

でも例えば「お母さん」として、普段着の自分で、行動のモチベーションがネガティブ、つまり、自意識を守るのが目的であるというのは、けっこう辛い事だと思います。

何故なら、「助けてほしい」と言えなくなります。どころか、「助けてもらわないとやっていけない自分」を認識出来なくなります。これはけっこう危険です。健康を害してしまうレベルに、簡単に自分を追い込んでしまいます。実際に産後うつになったことのある私ですので、その状態はよく分かります。

■ ポジティブな動機で動くママは、「公園デビュー」なんて気にしない
さて長らく読んで頂きましたが、ここでやっと点と点が繋がります!!私もここまで、「この文章、どこで繋がるんだろう・・・?」と疑問を持ちながら書いていましたが、やっとです!よかった!

自他共に認めるおばちゃんであるところの私は、全く公園デビューなんて意に介しません。ここシンガポールにも日本人ママの派閥めいたものはありますけども、全くどこにも属していません。(ええと、友人がいないわけではないですよ。。)

目的は、子どもが楽しく遊ぶこと。その楽しそうな様を、心楽しく眺めること。これにつきます。(子ども同士の喧嘩はさらに、私にとって心楽しいことなのです。。その理由はまた別の機会に)

ちなみに、同じマンションで一人だけ何かの集まりに呼ばれない、とかも経験あります。でも私にとって大事な人たち(家族ですね!)は、私の事が大好きだし、仲良しで幸せという自信を持っているので、自分の中の優先順位が下の方である赤の他人に嫌われると言う事実は、全く些末なことでした。

■ ポジティブな動機 = 自分自身
部屋の例で言うと、今でも私は綺麗好きです。空のトイレットペーパーホルダーが転がっているのも、本が本棚ではないところに転がっているのも、ものすごく気に食わないので、さっさと片付けてしまいます。

でも、それは、誰か他人のためではなく、一部の隙も無く自分のためです。

■ 自分に優しいポジティブな動機と、自分に厳しいネガティブな動機

そして私はマネジメントが上手くないし、そもそもやることがたくさんあるので、掃除ひとつにしても完璧には出来ていません。でもそれも仕方ないよなあ、とあきらめています。そういうときに人が来ても、「そういう時だからさ」と言い訳しています。(人にも、自分にもね)

子ども達の学校からの提出物すら、完璧には出来ません。もちろん、最善を尽くしているんですよ。でも、「鉛筆で書かなければならない書類に、ペンで記入した」と長女に怒られ(彼女は怒りすぎて泣いていました)、「PTA会費が出ていません」というメッセージに平謝りし・・・という日々です。いや、締め切りを守れる時もありますよ!もちろん。

でも「だめだなあ、私」とは思っていません。「あちゃー、失敗した。ごめんごめん。次はカレンダーのリマインドに入れるから」という風に前向きに考えます。それで嫌な思いをする人(子どもですけど)には、心から謝ります。

子供達は私の姿から学び、提出物はペンを持参してきます。「今、この場で書いてくれ」と。私はすごく感動して、お礼を言いました。ありがとう、これならママ忘れずに済むね!と。

自分が完全無欠ではないということが、誰かの成長に必要なのですね。だからいいじゃないですか、完璧でなくても。(たとえ子どもに「開き直りすぎでは」と言われようとも・・・)

っというふうに、ポジティブな動機による行動は、たとえそれが上手くいかなかったとしても自分を責めはしません。

対してネガティブな動機は、どうも自分を責めがちです。自分に厳しい。もし私がこんなに能力が無いのに、「提出物は完璧なママを目指すわ!」と意気込んでいたら、自分のダメさ加減に打ちのめされていたことでしょう。

■ おわりに。

ママ向けの媒体に記事を書いている私が一貫して伝えたいメッセージは、「あなたはそのままで完璧にOKな存在なんですよ」ということです。上から目線で「こっちへおいで」というのではなく、「一緒に、自分自身になりましょうよ」ってことです。それはかなり心地よく自分も他人も許せる、楽な場所なのですよー。ほんとに。

まあ、私もいまだに姑相手にはネガティブな動機で行動することがありますけどね。。

しかし出来る限り、ポジティブな動機で行動すること、つまりは自分自身でいることを心がけているし、これからもそうするつもりです。そのほうが楽しいしね。そして夫や子ども達は、きっとそんな私を見ることが心楽しく、嬉しいでしょうから。

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【自宅出産について思う事】初めての苦情メールを頂きました。ありがとうございます!

「自分のスタイル」というものがないと、表現する職業と言うのは、誰の印象にも残らず、通り過ぎ去られてしまうものです。

ライター業を始めて1年が過ぎ、やっとモヤモヤと空に漂っていた私の「スタイル」なるものの形を、初認識出来たような。そんな気がしています。

■ 初めての経験、苦情メール☆

というのもね、始めて苦情意見を頂いたのです。今まで、スパムのコメントや、単なる誹謗中傷はありましたけど(即削除して相手にしておりません)

苦情が来たのは、こちらの記事に関して

woman.excite.co.jp











筆者は第1子、第2子をアメリカで無痛分娩で出産し、第3子、第4子を日本の自宅で出産しています。かつて日本では助産師・産婆さんの介助による自宅出産の方が普通でした。ですが、“自宅出産”という選択肢を選ぶ事は全く一般的ではなくなっています。出産が病院という場所で行われる事が当たり前の時代に私たちは生きていますが、出産を病院任せにして受け身の姿勢でいる妊婦さんが増えています。今回は子育てアドバイザーであり四児の母である筆者が、自身の経験に基づく、“自宅出産のメリットと産後の親子関係にも影響するバースプランの大切さ”についてお伝えします。
■自宅出産のメリット3つ
 (1)5分で終わる通り一遍の病院健診
筆者は妊婦期は特に問題なく正常な経過であったため、病院での検診はものの5分で終わるのが常でした。体重、検尿を提出後、ずいぶん長い間待たされた後で、通り一遍の検診。「問題ありません、なにかありますか?」と医師に問われてもうまく答えられず、何もないですとどこか味気ない気持ちで帰路につきました。医師の顔の高さまで自分のお股を持ち上げられる内診台は毎回屈辱的で疲労したものです。赤ちゃんのエコー写真だけが、検診という灰色の世界に唯一色づく、ワクワクするものでした。 

(2)気持ちも身体もほぐれる助産師さんとの自宅健診対して自宅出産は、担当助産師さんが血圧、子宮低長と腹囲をメジャーで測った後は、全身を軽くマッサージしてくれます。そこで気持ちも身体もほぐしてもらいながら、「最近足が冷えて」「前よりもそこが痛いです」「最近夫とケンカして」なんていう相談を軽い気持ちで話せます。ものの五分で終わる病院の検診に比べ、自宅出産の検診は1時間は余裕でかかります。何も問題が無くても、です。そんな風にして、出産と言うかけがえのない場面を共有する人との関係を作っていったのだなあ、と今では思います。介助してくれた助産師さんは、筆者にとって今でも大切な存在です。 

(3)妊婦さんに合わせたオーダーメイドの自宅出産病院はなんとも機械的で味気なく、医療機関側の都合で全てが決められています。対して自宅出産は、全てが妊婦さんに合わせたオーダーメイドです。ちょっと昔に、桜沢エリカさんの漫画『贅沢なお産』という自宅出産を題材にした作品がありました。自分の家で、自分の都合で行う出産は、現代ではまさに贅沢。誰もが出来る事ではありません。 

 

■自宅出産を選ぶ妊婦は意識が高い!?

ですが、自宅出産を選ぶに当たっては、好きな食べ物、好きなファッション、好きな暮らしをしながら、「お医者になんとかしてもらう」という風には到底行きません。赤ちゃんを守るための暮らしを意識する必要があります。

もしそうした意識が低い妊婦さんは、場合によっては、助産師さんに断られることもあるのです。自宅出産派はよく「危険性を顧みていない」などと批判される向きもありますが、筆者からすると、医療機関におんぶに抱っこ、出された薬と診断を疑わない人に比べたら、自宅出産を選ぶ妊婦は自分の健康に対して、比べ物にならないくらい意識が高く、責任を持っていると言えます。 

■自分で出産方法を選ぶことの大切さ

思いもかけない医療介入で命が救われたものの、お産トラウマとなって子どもが可愛くない、次の子に踏み切れないという声もよく聞きます。お産は決して他人任せにするものではありません。病院にしろ、助産院にしろ、自宅出産にしろ、大切なパートナーと、誰よりも自分自身とよく話し合う事で、満足の行く出産方法を選ぶ事が大切です。  いかがでしたか。“バースプラン”を考えることは、出産後の親子の向き合い方や関係にも大きな影響を与えます。あなたは、どんな風に赤ちゃんと会いたいですか?一度、ご自分の気持ちを見つめてみてくださいね。

 

itmama.jp

 

 

■ 苦情メールの内容

匿名メールでのご意見でしたので、全文掲載させて頂きます。ちなみに今後も匿名の方にはお返事は致しません。この方は「返信不要」と書いていますけど、その一文が無くてもしません。代わりにこのハテナブログのこけら落としに検証してみたいと思います。以下全く編集していないメール全文です。

自宅出産のメリットやバースプランに関する記事を見ました。

私は二人の子どもを持つ助産師です。

記事を読んで、気になってメールした次第です。

まず、自宅出産を選ぶ人は意識が高いというのは、事情があって医療機関で産まなければならない人に対して配慮が足りない文だと思います。

近年は、高齢出産で難産になりやすかったり、低出生体重児や母体の合併症が増えています。
また、妊娠中は健康でも双子の場合は総合病院などで帝王切開です。
医療機関で産んだ方が赤ちゃんにもお母さんにもいい人たちは、医療機関をすすめるべきです。そしてそのような人がこれを読み、自宅出産を希望するとします。医師は反対するし、助産師も受けないと思います。

医療機関で産んだら意識が低いのでしょうか?健康意識が高いか低いかで、出産場所が選択されているとは思えません。

医療機関で産む人も健康意識が高い人はいますし、他人任せにはしていないと思います。

医療介入の必要性がないのに、例えば薬剤の処方をするのはおかしいですが、医師によってその処方の根拠が明確で、またその処方を行わなければ生命の危機に陥る可能性があるときは患者として受けなければならない。
だから医師は同意書を作成してサインしてもらったり説明を行うのです。
受けたくないならこの時言えばいい話で、記事を読んでいて、医師の処方を信じるな、医療介入受けるなともとれ、非常に頑張って仕事をしている産科医に対しても失礼な発言と思いました。

返信は不要です。以上です。


■ 苦情に見る、「他人主体」な姿勢を検証!

大体苦情というのは、「こんな意見を大々的にアップして、真似するひとが出たらどうするんだ」というものが多いですね。それはやはりやはりやはり、「短絡的に過ぎるだろうー!」と思います。

全ての人は自分の行動を決定する権利を持っている。他人がどうのこうの言って誰かの行動を思い通りにしようなんてことはもってのほかだし、例え「あのひとがこう言っていたから、だから自分もそうしたんだ」という場合でも、その決定権は意見を聞いた“あのひと”では無くて、間違いなく自分自身にあります。責任を転嫁する事は出来ません。

責任転嫁してばっかりの人が、我が家にはたくさんおりますけどもね。。ま、子どもだからそれは許される事です。でも常々こども達には「自分の行動を、誰かのせいにしない方が良い」という話をしています。全然意味分かってないと思うけど。「四番太が叩いた〜!」「だって、三女が叩いたから!!」というやりとりは食傷気味です。しかし私も、「夫が二日酔いで寝てるから、みんなつまんなそう。せっかくの日曜日なのに!」なんてことを言った事がありますけどね!あはは!

閑話休題。

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↗︎我が家の他人主体なひと。

本題に戻ります。

■ 自分以外の“短絡的な人”を想定する、主体不在のクレーム

医療機関で産んだ方が赤ちゃんにもお母さんにもいい人たちは、医療機関をすすめるべきです。そしてそのような人がこれを読み、自宅出産を希望するとします。医師は反対するし、助産師も受けないと思います。

当然反対されると思います。何故なら「これを読み、自宅出産を希望する」ような浅はかな人々ですからね。私はそんな考えの浅い人がいるなんて全く想定せずに、この記事を書きました。なんだかよく分からないライターが書いた記事に「よし!わたしも!」なんて思う人は、医師から反対されて然るべきです。その前にそのひとの家族から「おいおい、ちょっと待ってよ」とストップがかかると思います。

自宅出産は、もう少し色々考えて下調べして、夫や実家の両親なんかにも相談して、やっと選択出来る敷居の高いものです。現代ではね。勉強と根回しが必須です。ぼんやりしてる人は、とても経験出来ません。

さらに、母体自身がほとんど何も問題なく経過している事は、自宅出産する上での、大・大・大前提です。医療機関で産んだ方が良い人は、医療機関で産むべきです。どっかのライターやら二児の母である助産師さんとかからすすめられようが、すすめられまいが、どちらにしても、ご自分で選択するべきですね。

まあそれはそれとして、もうちょっと深くこのコメントを見てみると、人に文句を言って自分の正しさを主張したいときによく使われる手法が見えてきます。「普通の人はそんなことしない」とかなんとか言って、“自分以外の誰かが迷惑するから、そんなことはやめた方がいい”というような、どっから目線なのか分からない、もっともらしく聞こえてしまうような口調です。(姑にも、「ふつうのお嫁さんはそんなこと言わない」とか言われた事があります。フンだ。)

私は個人的にこういう言い方がすごく嫌いです。卑怯だと思うし、潔くないし、かっこわるいと思っています。(さんざんですね!)正直に「私はあなたのことも、あなたが言ってる事も気に食わない。そんな記事を書いてお金をもらってるなんて、ずるい」とでも書いてくれる方が、素直に「すみませんでした。楽しくて幸せで。あなたも幸せになりますように」と祈ってあげられるというものです。

■ 自宅出産を選択出来る人は、意識が高い。間違いなく。

医療機関で産んだら意識が低いのでしょうか?健康意識が高いか低いかで、出産場所が選択されているとは思えません。

医療機関で産む人も健康意識が高い人はいますし、他人任せにはしていないと思います。

記事の中で、「医療機関で産んだら意識が低い」とは一言も書いていません。人の口に自分の言葉を突っ込むような暴論だと思います。こういうケンカが、女の人は得意ですよね・・・。(「どうせあなたは私の事なんとも思ってないんでしょう!」みたいな)

自宅出産が出来る人は間違いなく意識が高い人です。実際経験した人なら誰もが分かると思うけど、それはそれは反対と心配と呪い(何かあったらどうするの、って物言いは、「何か」を期待しているようにしか聞こえません)の猛襲を受けます。立ちはだかるハードルを次々とクリアし、協力と賛同をゲットしなければなりません。それには当然ながら、「やりたいんだから!!」というただの我が儘ではなく、あらゆる想定をした上での対処策に加え、強い意志と熱意を波風立てずに伝える必要があります。(波風立っても、結果よければいいんでしょうけどね)

 

■ 「意識が高い」って、こういうこと

「意識が高い」って、最近よく聞くけど、どういうことなのでしょうね。少なくとも私は、こういうことだと思います。冷えが良くないとか、お母さんが口に入れるものが赤ちゃんに影響するとか、そして避けた方が良い悪影響がある食べ物はどんなものなのか、とか基本的な知識があることはもちろんですが、この苦情メールとは正反対の主体的な姿勢を持っています。

「自分の行動に、自分で責任を持つ」という姿勢が無いと、特に現代では自宅出産なんて少数派に自らなるなんて、とっても出来ません。「意識が高い」というのはそう言う意味です。かといって、「病院で産む人が意識が低い」とは一言も申しておりません(二度目)。

■ 読解力のある人には不要な、この記事で伝えたかった思い

この記事は、実は全く違う角度のテーマで依頼されたものです。「世界の出産事情」とか、そんな感じ。しかしネット上で検索したら、でてくるでてくる、「世界の出産事情」。中でも面白かったのが、スイスのもの。あるサイトにあった情報によると、スイスでは「出産後1時間ほど、新生児と産婦は暗がりで過ごす」とのことでした。へえ、そうなんだ、と思って、スイス在住、4年前に出産した友人に質問。「こんな情報見つけたけど、これってほんと?」と。すると友人曰く「聞いた事無い。病院ではそういうことしないよ」と、あっさり誤情報確定です。助産院ではもしかしたらそうなのかな、とも言っていましたけどね。いずれにせよ、あまり一般的ではないようです。

こういう不確かな情報よりも、私自身が経験した事なら間違いなく本当です。それは誰も認めてもらえなくても、私自身が認めています。それらを記事にする事で伝えたかったのは、「自分で出産方法は選べるよ、病院が提示するやり方だけじゃないんだよ」ってことです。

母同士の共通の話題として「出産話」というのは鉄板です。中でも私は、「どれだけひどい目に合ったか自慢(出産編)」というのをけっこう聞いてきました。全く何も問題も不満も無い出産話の方が絶対的に少ないです。

一生に一度の我が子との対面を、悔いのないものにしたい。多くの親がそう思っていると思います。もしくは、悔いが残る可能性にすら、気付いてない事も多いでしょう。現代の病院のシステムは、医者主体で進みます。そこにお産も組み込まれているのが現状です。私は自分のお股を医者の目線まで持ち上げられる屈辱に耐えられませんでした。それで、自分のお股の目線まで降りて見てくれる助産師さんに介助をお願いする事にしました。そのために必要な情報を自らあちこち探って調べました。

上記はあくまでも私の場合は、ということです。べつにお股をぐいーんと持ち上げられる事なんて、なんともないという方もいらっしゃるでしょう。もしくは、それはイヤだけど、病院の方がいい、と選択する方もいるでしょう。「自分で選択したこと」は全て正解だと思います。べつに私が「それは正解!」とか言ってあげることでもなく、ご自分が「これでいい」と思える、それが大切ではないでしょうかね。

誰も教えてくれなかった、そんなこと知らなかった、出産の方法を選べるなんて、考えもしなかった・・・。そういう人がなるべく少なくなりますよう、自分主体のお産が出来ますよう。それが私の願いで、この記事で伝えたかった事です。



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